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小池陽慈
小池陽慈
小池陽慈
@koike_yoji
執筆業・予備校講師・放送大学大学院博士後期課程1年。アイヌ語の学び直しを始めました。著書に『14歳からの文章術』『"深読み"の技法』(笠間書院)、『評論文読書案内』(晶文社)、『現代評論キーワード講義』『マンガ森の彷徨いかた』(三省堂)、『ぼっち現代文』(河出書房新社)、編著『つながる読書』(筑摩書房)、他、多数。
  • 2025年11月6日
    今を生きる思想 ハンナ・アレント 全体主義という悪夢
    なぜ、人文学が大切なのか。 それは、抽象化された法則へと対象を均質化する科学に対して、そこから逸脱した存在や行為へと着目する学問であるから。 そしてそのことが、全体主義の復活を阻むために、決定的に重要な役割を果たすはずであるから──私は、本書のエッセンスを、そう汲み取った。 本書は、アレントの思想を抽出し、ただ解説するだけの一冊ではない。 アレントを私たちの現代へと紐付け、編み直す一冊である。 紙幅の都合か、書き方がやや抽象的なきらいはある。そのため、一読では各項目のつながりが見えにくい。ぜひ、2度読むことをおすすめする。私はそうした。
  • 2025年10月24日
    デカルト入門講義
    再読完了。 今のところ、この一冊が私にとって最良のデカルト入門。 『省察』を懇切丁寧に読み解いてくれる。 この哲学者が、なぜあそこまで「神の存在証明」にこだわったのか、それは自己の「外」への信頼を取り戻したかったから──私は、筆者による『省察』の解説を、そう読んだ。 デカルトは、たぶん、寂しがりやだったんだよ。
  • 2025年10月24日
    方法叙説
    方法叙説
    学部生だった約三十年前に、岩波文庫で読んで以来、何度も挑戦してきた一冊。 相変わらず、「わかるところしかわからない」読み方しかできなかったが、それでも、以前よりちょっとは読めるようになっているのが嬉しい。 そして、面白いのはやはり第四部と第五部。 神の存在証明と、魂と身体の二元論の示唆。 ただ、「〇〇は真理。なぜなら明晰判明だから」という論法は、僕には同義反復に思えてしまう。ということは、僕はこの本の最も肝要なところをわかっていないということなのだろう。 哲学の素人としては、デカルトの真理に対する執念を感じられるだけで、十分に面白いが。
  • 2025年10月23日
    フェミニズムってなんですか? (文春新書)
    読了。 フェミニズムの歴史と現在を概観できる一冊。 一般向けということを考えれば、もう少し脚注を増やしてほしいとは思った。 しかし、良書である。 「結論は永遠に出せない」ということに、誠実に向き合っている。 実は、本書については、「ポスト構造主義の現代的意義」を確かめるために読んだ。 果たして、思惑通りであった。 差延とは、他者の声の声へと耳を傾け続ける終わりなき営みであり、すなわち倫理である──という思いを、より確かなものとすることができた。
  • 2025年10月21日
    ホームレス文化
    ホームレス文化
    少しずつ読み進めている。愛するものを理想化せずに語るのは、真に愛するがゆえなのだろう。
  • 2025年10月19日
    獣王と薬草(7)
    獣王と薬草(7)
    いま、新刊が出るのを最も楽しみにしているマンガ(のうちの一つ)、『獣王と薬草』。今回も速攻で購入し、すぐさま読了。この巻はいわゆる"つなぎの巻"。きっとここから「獣王」の葛藤が深掘りされていくのだろう。次の巻の刊行が待ち遠しい。ただ、この巻もこの巻で、もちろん面白い。「孤独を持て余して狂ったダンジョン主」のキャラクター造形が深い。
  • 2025年10月18日
    ぼくらの中の「トラウマ」 ──いたみを癒すということ
    良心的な本だと思った。 何がかと言えば、トラウマという心の傷をめぐって、それに悩む子どもたち、支える人々、そして社会に向け、丁寧に、多角的に、具体的に、言葉を届けようとしているところが。 それに、旅や宗教の持つ意味についても、深い考察がなされている。 とりわけ最後の、広島における原爆のトラウマを語るページは、「記憶、そしてその継承」をめぐる、哲学の思索とすら言える。 教室に一冊、置いておくことをおすすめしたい、そんな一冊であった。 本書で救われる子は、きっと、少なくないはずである。
  • 2025年10月17日
    ヘーゲル「精神現象学」3月
    対立を不可避の前提として受け入れながらも、互いが自己批判をすることで相互承認を実現する──そのための、対話。 ……という理念は、正論としてはわかる。 ……しかし………それならば、私たちは、悪辣なヘイトスピーチを繰り返す連中にも、耳を傾けねばならないということか…? いや……私──この社会のマジョリティとして存在する者──ならばまだしも、そうした対話を、ヘイトスピーチという暴力の、直接の対象となっているマイノリティにも求めると言うのだろうか。もしそうであると言うなら、私は、それは、端的にセカンドレイプに等しいと思う。 あるいは、逆に、ヘイトスピーチをしている側を、「自己批判からの相互承認が大切だよ」と諭し、頷かせることなど、可能なのだろうか。 "分断を乗り越えるための対話"という理念は、いま、アポリアに陥っている。それが、本書を読み終えての、率直な感想だ。
  • 2025年10月13日
    フェミニズムってなんですか? (文春新書)
    半分くらいまで読んだ。フェミニズムの本を読むことは、僕にとっては自分をブン殴ることだ。この本も、然りだ。とても痛い。激痛だ。だから、良い本なのだと思う。
  • 2025年10月11日
    フェミニズムってなんですか? (文春新書)
    信頼する方に勧めてもらい、読み始めた。 まさかフェミニズムの入門書で、カート・コバーンの名前を目にするとは思わなかった。
  • 2025年10月10日
    デリダ 脱構築と正義
    今から約三十年前、初めて「脱構築」という名前を知ったとき、手にした入門書には、「脱構築なんてか〜んた〜ん! 要は二項対立崩しだよ!」みたいなことが書いてあった。そのときは、ふんふんなるほど、と頷いた。 けれども、その後、岡真理『記憶/物語』(岩波書店)に感化され、僕は「要は二項対立崩しだよ!」に違和感を覚え始めた。この一冊を、「岡は、どうやら自らの思索に、デリダの差延という考え方を応用しているようだ。しかも、その軌跡は、他者をめぐる、極めて倫理的なものである」と読んだ僕にとって、もはや「脱構築」は、恐ろしいほどにストイックな倫理的実践としか思えなかったのだ。そうしてその後、「脱構築」に関わる本や文章を読んでいくなかで、僕のそうした思いは、より強いものとなっていく。 高橋哲哉『デリダ 脱構築と正義』(講談社)を読み終えた今、その思いは、いっそう堅固なものとなった。本書との出合いは、僕の残された人生の時間にとって、破格の意味を持つことになるだろう。
  • 2025年9月10日
    アイヌ語広文典
    pp. 214-221まで。名詞の区分、普通名詞の「概念形/所属形」。「名詞1の名詞2」という所有の構文において、名詞2の名詞1に対する関係(譲渡可能か不可能か)で名詞1に概念形がくるか所属形がくるかが決まる…ということは理解していたが、譲渡不可能(→所属形をとる)な関係の区分としての、「全体に対する部分の関係」、「原料に対する製品の関係」というあり方は、初めて意識化できた。「全体に対する部分の関係」は、日本語で言うなら、例えば「刀の鞘」。「原料に対する製品の関係」は、例えば「レンガの家」。
  • 2025年9月10日
    手の倫理
    手の倫理
    再読を終えた。 やはり、名著。 身体をめぐる哲学的な思索を学んでいくうえでの格好の入門書(+α)として、今後も読み継がれていくだろう。 著者はその用語を一切使っていないけれど、私のイメージする「脱構築」というものは、まさに、本書の述べる全体的内容・展開そのものである。 触覚というものを契機に、自他の複雑な相互嵌入、意図されたメッセージと意図されぬメッセージとの解くことのできない絡み合いを見出すこと。そうした脱構築的な介入によって境界や個我を揺さぶり、そこに、他者への開かれを、あるいは自でも他でもない領域を生成していく。 何より素晴らしいのは、そうしたテーマを、観念論ではなく、著者や著者と繋がる人々たちの具体的な実践、その報告を通じて、きわめてリアルに物質的に体感させてくれることだ。わかりやすく言えば、具体例の「なるほど!」感がものすごい。爽快ですらある。 私の読解力が上がれば、もっともっと味わえる一冊なのだろうなぁ。 また、数年後に、再々読すると思う。 そのとき、どう読み返せるのかが、今から本当に楽しみだ。
  • 2025年9月9日
    アイムホーム
    アイムホーム
    少しずつ読み進めているのでまだ序盤なのだけれど、もう完全に心を鷲掴みにされている。向坂くじらの新しい詩集『アイムホーム』(百万年書房)、すごい。
  • 2025年9月3日
    どこかの遠い友に
    どこかの遠い友に
    読了。 流れゆく時の一刹那を、静止画として結晶させる──そんな超絶技巧。 あるいは、文字を介した世界の破壊と再創造。 今はまだ、読みながら感じたことが、頭の中で錯綜している状態。 もう少し腑に落とし込んでから、レビューをnoteにまとめようと思う。 私は、少年の「ペニス」を、こんなにも美的な形象へと昇華した芸術を知らない。
  • 2025年8月26日
    ペリリュー ―外伝― 4 ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ (ヤングアニマルコミックス)
    この『外伝』の4巻で、『ペリリュー』は完結ということらしい。 本巻を読み終えたとき、しばらく涙が止まらなかった。 このマンガは、必ず、世代を超えて手渡していかなければならない。 そのためには、読む者としての私もまた、読む者としての責任を果たしたい。 それは、本作を読み、思ったこと、考えたことを、言葉にするということだ。 だから、もう一度、1巻から読み返す。 真剣に、誠実に、読み返す。
  • 2025年8月26日
    どこかの遠い友に
    どこかの遠い友に
    ひとまず、詩はすべて読み終えた。 一人の詩の読み手として、とても貴重な時間を過ごすことができた。 良質の詩は、誰がいつ詠んだものであっても、綴られる言葉、組み立てられる言葉に緊張が漲っている。 この緊張を追体験することこそ、僕が詩を読む目的である。 その目的は、存分に果たせた。 極上の経験であった。 必ず、感想をまとめたいと思う。 ただし、その前に、「解説」も読む。 編者がこれら詩群をどう受け止めるのか、それを知ることが楽しみで仕方ない。
  • 2025年8月22日
    手の倫理
    手の倫理
    身体、ケア、倫理。 主客二元論への揺さぶり。 たくさんの高校生に紹介したいこの名著を、たくさんの高校生に紹介できるようにするためにも、再読する。前回よりも丁寧に読み進めるつもり。
  • 2025年8月22日
    寝ながら学べる構造主義 (文春新書)
    いま企画が進行中の本の執筆準備として再読。 良心的な入門書だと思うが、僕は、こうした"入門書"に臨むための更なる入門書の必要性をひしひしと感じている。それを、僕が書く。
  • 2025年8月17日
    石垣りん詩集 表札
    旧版の『表札など』(童話屋)で読み返しているのだが、そちらがReadsには登録されていないようなので、同じ童話屋のこちら『石垣りん詩集 表札』で。 いやー……やっぱハンパないですわ、石垣りん……ほんっとに、すごい。とりわけ、「崖」という詩に──「戦争の終り」に「サイパン島の崖の上」から「身を投げた女たち」を詠んだこの詩に、脳を鷲掴みにされた。 もう、僕の脳は、この詩に刻まれた言葉から一生逃れられないだろう。
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