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2025年8月16日

すべての月、すべての年 --ルシア・ベルリン作品集
ルシア・ベルリン,
岸本佐知子
単行本で読んだルシア・ベルリンの日本ではふたつめの短編集を改めて文庫で読みはじめる。前に、ちょうど単行本がリリースされた頃にあったある出来事を思い出している。そのときわたしも少し大変だったけれど、それとは比べ物にならないくらい大変な状況にあった友人がいて、その人もルシア・ベルリンが好きだった。出たばかりの単行本を買って、少し焦りながら読み終わると直ぐに彼に贈った。その本が救いに、少しの助けになれば良いな、と思って。それは独りよがりだったかもしれない、と今になると思うけれど、それでも「本に救われる」ことがあるとはやっぱり信じている。彼から贈られた本に、わたし自身が救われたことがあるから。
〜
さて。冒頭の一編『虎に噛まれて』を読み終わった。
クリスマス直前。エルパソ。パウダーブルーのキャデラック・コンパーチブル。後部座席には旅行カバンと赤ん坊のベンと彼の小さなベッド。フロントガラスから覗くのは従姉妹同士のふたつの顔。二枚のクウィーン。ひとりはもうすでにクウィーンで、ひとりはもうすぐクウィーンになる。最初の見開きを読んで、これも少女がクウィーンになる話だ、とボストン・テランをサンプリングしながら思い込む。
従姉妹に代わりに決められ促され、出ていってしまった元夫との二人目の子供を堕胎するために国境を越えメキシコへ向う、「悲しくてみじめな気分」の少女。しかし彼女はメキシコのモグリの病院で決断をする。人生のコントロールを取り戻す。
「でもわたしはこの子を育てられる。きっとみんなで家族になれる。この子と、ベンと、わたしと三人。本物の家族に。狂っているのかもしれない。でも、すくなくとも自分でそう決めるのだ。いつもわたしに指図するベラ・リンではなしに。」
OK。もう彼女はクウィーンだ。世界も彼女自身も直ぐに変わるわけでもないし、その決断によって苦難や悲しみも訪れるかもしれない。それでも彼女の人生もそのコントロールも彼女のものだ。
二日間を描いた短い物語では問題はなにも解決しない。人生がそうであるように、解決しない物語。それでも、物語りの先にもたしかにあると思える人生を生きる彼女はタフなクウィーンだ、きっと力強く人生をコントロールしながら生きていくのだ。そんな風に信じられる。ルシア・ベルリンの小説の多くは、そんな苦難や悲しみの中でも自身の人生を生きる、生きていくだろう力強さと、そう信じられる信頼感を感じながら読んでいる気がする。わたしも自分の人生を、決断を、信じられる、信じたいという気持ちになってくる。そうやってまた少しだけ「本に救われる」。そんな気になりながら日々をなんとか過ごしていく。
一旦本を閉じる。少し大袈裟かもしれないことを考えはじめる。木の葉の間の青空をベンチから見上げながら、彼女が車窓からみた空の「あくどいくらいのメキシコの青」を想像している。地上ではふわふわな秋田犬が芝生を蹴っていた。




