
さとう
@satoshio
2025年8月16日

発達障害者は〈擬態〉する
横道誠
読み終わった
借りてきた
大卒以上で、現在比較的安定している人たちにインタビューしていたから、自分の特性について分析し言語化できていて、読んでいて発達障害の深さを目の当たりにした。色んな凹凸、擬態まで至った過程、社会との関わり方があることを知れてよかった。
向坂くじらさんのエピソードが興味深かった。
注釈も専門的に分析というよりかは、当事者として「わかるわかる〜自分も〇〇で〜」という感じだった。
「自閉スペクトラム症はSF的で、ADHDは落語的」この表現しっくりきた。



さとう
@satoshio
○カモフラージュ=抑圧の結果、生存戦略の発動
・社会生活がスムーズになる、就職で有利になるといった利点
・日常生活において絶え間なく自分の行動をコントロールしなければならない結果、心理的に疲れ切ってうつ病や不安症を発症、自己肯定感が低下したりするという欠点
・勉強
→「ぼくは勉強をかんばっている人だから」という立ち位置を作ろうとした。勉強ができると、トラブったときに教師が味方をしてくれるというメリット
・読書
→周囲の人間の言動を謎だらけと感じ、その言語的説明を得て、「ふつうの人たち」の感情や思考回路を把握できるようになるために多読
→描写された人物の気持ちを推しはかることがほとんどできないのだが、それを挽回するために異常な量の読書をして、「ふつうの人はこんなふうな思考や感情の回路を持っている」というデータを大量に頭に蓄積。そういう訓練によって現実世界を生きのびる知恵を身につけた。
○障害の責任=身体的気質と環境整備の噛みあわせの悪さ
・聴覚情報処理障害
→これまでの経験を参照しつつ、現在進行形で起こっていることに対して、かなり正確な見通しを与えながら向き合うことが得意なために、「聞こえていないように見えない」状態になっているだけ。
・メタ認知の脆弱性
→戦略的に擬態できるほどじぶんを客観視できていなかった。じぶんがどういう立ち位置なのか、よくわからなかった。
→私は実際にはその世界に近いところにいたはずなのに、得意な科目では学年でもトップレベルというのとで、「養護学校」を自分とは対極のものだと思おうとしていた。
・基本的な能力の高さ、勉強への意欲
→学生時代までは「猶予期間」ということで、つまり定型発達者であれ、それなりに未熟なのが当たり前という状況で、許容されることが多かった。
・同調性圧力に巻き込まれない
→女子高の女子って、よく言われるように「いかにも女子!」ではない人たちなので、僕もかなり自由に振るまっていた。
・毒親
→親自身が自閉スペクトラム症であったこと、その特性を理解していれば、振るまいは適切なものになる可能性も出てくる。そうでない場合は、世間とじぶんとの深刻なズレを解消できないまま子育てにあたることで、じぶんの生きづらさを子どもにぶつける人、いわゆる「毒親」になってしまう。