Atsushi Ito
@ukajun
編み物をしたことがないから、憧ればかりがつよくて、イメージ先行で具体的なことが浮かばない。誰かが編んでくれたマフラーなどを首に巻いたことがあった気がもするが、そんなことは生涯一度としてなかったようにも思う。
読んでいるとき、フォレスト・ガンプがバス停のベンチで語りかけていくトム・ハンクス主演映画を思い出しながら、ロレッタが祖母に語りかけられているように最後までやさしい気持ちのなか読んでいた。
専門学校の卒業制作のときに映画に取り組んだ作品を思い出す。やはり集団で行動することが苦手で、デジタルビデオを肩からぶら下げて、ほぼひとりで撮影した。キャストは渋谷のタワレコで声をかけてスカウトしたり、あまり知らない友達の友達に連絡をとってもらったり、近所の子どもに声をかけて、怪しくないことを証明するために親御さんに挨拶しに行ったりした。新宿甲州街道沿いにある文化服飾学園の食堂に行って、突貫で撮影したりもした。集団でできないからせめて行動力で何やら示そうと孤独なりに頑張ったんだろう。
新木場にラストカットを撮りにく。明確に決めていたのは、主人公が首に女性からマフラーを巻かれるシーン。赤い色をしたマフラー。母性の象徴として、わかりやすく導入したアイテムだった。
今回、本書を読んでこのカットを思い出したのだが、そもそもマフラーが手編み設定だったのか。恐らくは、それは購入した設定の赤いマフラーだったんだと思う。そうすると、そのマフラーという象徴には、母性なる絶対的な愛のようなものが希薄である。自ら手を動かす、その過程が組み込まれていなかったことになる。これは、私自身の愛とかそう言ったものを捉える姿勢に重なるようで妙に納得した。
手を動かすこと。ただ、手を動かすこと。気持ちは後からつてくればいい。それだから信頼するに足る。
人と繋がることは素晴らしいことだし、そう祈ることも心から素晴らしいことだと感じる。