
はな
@hana-hitsuji05
2025年8月23日

翻訳をジェンダーする
古川弘子
読み終わった
図書館で借りた
子どもの頃、海外の児童文学ですごく独特な言い回しや表現に困惑することがあって、え、これ面白い感じに言ってるのかな?わからん!となることが頻繁にあった。
なので他言語を翻訳する時、どこまで真のニュアンスに近づけることが出来ているんだろう?と不思議に思っていた。
私は書いた人が感じたものを感じられているのかな?とか。
言葉をその通りに受け取るだけでは理解したとは言えず、その国や場所、文化的な背景とか常識も併せて知っていればピンと来ることが多いんだろうな〜。
世界中でちょいちょい誤読しながらもその作品を愛している人たちの中の1人が自分かも。
『見える化』って見えているけれど、ピンポイントで注視していなかったものに目を凝らす、立ち止まることな気がする。
ただの景色のように気にも止めず見ている、そういうことが本当に多い。
知ってたけど、見えてたけど、そんな風には考えたことなかった!ということがこれでもかと現れる。
漢字のことを真名と呼び男の言葉とし、そこから派生した平仮名は仮名、仮の名!で女の言葉。これ、アダムとイブみたい。
シンプルに疑問なんだけど、女が出産しなければ男も女も生まれてきてはいないのに、どうして男から派生して女が生みだされたような表現があちらこちらにあるのか。
また、女性の体についての本を女性たちがネットもなく今よりも身動きの取りにくい社会の中で編纂したこと、それが言葉の変化に現れて、意識を変えてきたことに本の力、言葉の力を感じた。
少し前に読んだ「性差別の医学史」のことを思い出した。
色んな方法で自分たちの世界の考え方、捉え方を変えようとしてきた先人たちがいることは、読んでいて心が震えた。
『むずかしい女性が変えてきた』という本のことを思い出した。
簡単にはいかないけど、名前も残らないような人が大勢時代のうねりの一つとなって、世界が良いものになっていく過程の中に自分も存在していると信じたい気持ち。
自分も自分の価値観や先入観、意識をよく見つめ直して次の人に何かのバトンを渡せるようになりたい。





