
noko
@nokonoko
2025年8月26日

本心
平野啓一郎
買った
読み終わった
心に残る一節
僕は、母の心を、あくまで母のものとして理解したかった。ーーつまり、最愛の他者の心として。
すっかりわかったなどと言うのは、死んでもう、声を発することが出来なくなってしまった母の口を、ニ度、塞ぐのと同じだった。僕は、母が今も生きているのと同様に、いつまでもその反論を待ちながら、問い続けるより他はないのだった。わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、母は僕の中に存在し続けるだろう。
それでも、生きていていいのかと、時に厳めしく、時に親身なふりをして、絶えず僕たちに問いかけてくる、この社会の冷酷な仕打ちを、忘れたわけではなかった。それは、老境に差し掛かろうとしていた母の心を、幾度となく見舞ったのではなかったか。
何のために存在しているのか?その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だって、それを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口籠もってしまう人を燻り出し、恥じ入らせ、生を断念するように促す人殺しの考えが忍び込んでいる。勝ち誇った傲慢な人間たちが、ただ自分たちにとって都合の良い、役に立つ人間を選別しようとする意図が紛れ込んでいる!僕はそれに抵抗する。藤原亮治が、「自分は優しくなるべきだと、本心から思った」というのは、そういうことではあるまいか。
「俺は、今でもおかしいと思っているよ、この世の中。」と、また、岸谷の言葉が過った。僕はそれに、何度でも同意する。ただ、その世の中を、僕は彼とは違った方法で変えたかった。それが出来るなら、僕はせっかく良くなった社会を、大切にしたいと思うだろう。それを壊してはいけないと、心から信じられるはずだった。


