
あんどん書房
@andn
2025年2月25日

ぼくの文章読本
荒川洋治
読み終わった
新聞や雑誌の連載から文章に関するエッセイを集めた一冊。再録も多いが、2023年以降ぐらいのものは新規収録も。
読点と体言止めを多く使った独特の文体から、人柄みたいなのが見えてくる気がする。たぶんゆっくりだけどハキハキと話される感じの方なのではないだろうか。そんな気がする。
「散文」という一節から。
『散文は、理路整然としているから「正しい」ものであるように思われているが、散文が本質的に異常な因子をかかえていることを知っておく必要はある』(P72「散文」)
散文は人間の知覚からはずれていて、詩の方がより近い表現ができるという話。散文では「谷間の道を、三人の村人が通る」と書くが、詩では「谷、三」と書ける、と。
考えたことがなかったのでちょっと目から鱗かもしれない。まだ掴みかねてるけど。
ただ、詩は必ずしも「個人の事実に即したものである」とは限らないような気もする。まあ、それを言っちゃうとそもそも文章自体が個人の知覚をできるだけ正確に表現するためだけにある訳じゃないって話なんだけど。
「いま文章は、ある人間になるために、あるいは何かを見るために何かを手にするために書かれ、また読まれる。でも実は何もしない文章というものがいちばん多くのことを感じさせ、想像の翼を与えてくれるのだというふうには思わなくなっている」(P157「暗くなったら帰るだけ」)
尾崎翠の作品についての一節から。この作家に関する文章は二つ収録されていて、荒川さんのお気に入りだったりするのかな、なんて思う。
文章が手段になりすぎてる、みたいな意味だと受け取ったのだけれど、違うかな。大した展開がある訳じゃないのに、なぜか読ませる文章って確かにあるよなあ。パッと出てこないけど。尾崎翠、読んでみたいな。
装幀:寄藤文平+垣内晴(文平銀座)
本文書体:秀英明朝
