🐧
@penguin
2025年8月27日

急に具合が悪くなる
宮野真生子,
磯野真穂
読み終わった
これまでマイノリティに置き換えながら読んできたが、9便冒頭の「最近は◯◯との適切な接し方」のようなものが増えてきた、という話の中で、精神障害者やLGBTが挙がっていた。
"ですが「患者」とか、「元気な人」とかいったように、それぞれの人間が持つ特性にラベルがつけられ、ラベル同士のあるべき連結の仕方が、関係性を具体的に作る人々の外側にいる、ラベルについて深い知識を持っているとされる人たちによって、頻繁に提示されることに私は少々違和感を覚えています。加えて、「あるべき形」から外れた連結が、「元気な人」(マジョリティといってもいいでしょう)から試みられた時、深い知識を持っている人々が、多様性を損ねるとか、配慮がないとか、差別とかいった言葉を掲げ、それを試みた側を糾弾する姿を見ると、その違和感はより増します。
(中略)そのような正義の鉄槌をためらいもなく振りかざす人たちを見ると、「多様な社会とか、人々の繋がりってこんな形で達成されるんだっけ?」と考え込んでしまうのです。"(P182)
あまりにもSNSでよく見る景色。そして何度もそれを目にした結果、私たちが内面化してしまっている景色。
でもそれでは人と人の関係はさまざまな可能性を持つ「ライン」を描けず、硬直した連結器になってしまう。連結器の関係にすれば痛みはないが、それ以外もない。
「ラインを描く」って、単純化すれば勇気を出して人を社会を、自分(たち)を信頼するということなんだと思う。
クィアや障害者、在日外国人など被差別的マイノリティは人や社会に傷つけられて、信頼ができない状況にたびたび陥る。がん患者としての宮野さんの立場をこうした被差別的マイノリティと置き換えながら読んできたが、明確な「悪意」に接触する量の多さが、違う点かもしれない。とにかく悪意に取り囲まれているから、「信頼しよう!」とは単純にはなかなか言えない。その信頼を悪用されたりするから(それもまたラインを描けなくさせる要因だろう)
でも、だからといって自分で自分をラベルに固定して、適切さの内にとどまっていて良いとは思えない。
どんな言葉なら届くだろう?「宮野の生き様を見ろ!」と言えばいいのかな。


