
阿久津隆
@akttkc
2025年8月11日

トピーカ・スクール
ベン・ラーナー,
川野太郎
読んでる
読書日記
布団では今日もトピーカにいて毎日この時間が希望だ。ジョナサンのパートを長く読む。とても充実している。ずっと充実している。しかし大学で親元を離れたアダムは憔悴していて今は電話で両親と話している。ジェーンは深呼吸を促した。
p.234
でも彼は話し続けた。ナタリアのことというよりも、あらゆるものの虚しさについて語り、その声には大学で購読したフレーズが入りこんでいた。「道具的(インストゥルメンタル)理性」という言葉を彼は繰り返していて、僕にはそれが適切な言葉選びに思えた、というのも、彼の言語の音楽性が、意味内容を圧倒しつつあると感じたからだ。ある時点で、彼は無意味な韻文を発しているようになった。あらゆる語彙が衝突し、また結合した―トピーカのタフガイ的物言い、高速ディベート、憂鬱なドイツ人たちや実験的な詩人たちから仕入れてきた言葉、失恋にまつわるありふれた用語。そして幼児語に近づいていくもの、退行。たわごとを言っていたわけではないけれど、僕たちのいるトピーカの寝室から思い描けば、彼はニューヨークで耳を覆うヘッドホンをつけ、左耳で一分間に一八〇語を受信している、崩壊寸前のスピーチ・メカニズムだった。