トピーカ・スクール

91件の記録
- 文箱@hubaco2025年8月23日読み終わったfuzkueの会話のない読書会で読み始めて、ずっとその続きのような心地よさの中で読み通せた。 内容についてはこれからじっくり反芻したい。『10:04』でも感じたけど、ベン・ラーナーは技巧的なのに核の部分で何か飾らない、良きものを持っている。それが灯火のように常に読者を照らしてくれて、信頼感と共に読み続けることができる。 それにしても『トピーカ・スクール』とはすてきな響きの題名だ。トピーカというなじみのない地方都市がこの本によって自分の中で特別な存在になる。『コロンバス』という映画を見た時にも同じような感覚を得たのを思い出しながら読んでいた。
- 北烏山M@mari7772025年8月21日読んでるフヅクエさんの読書会で読み始めた。最初ちょっと入れ込めなくて苦戦したけどだんだん文体や舞台設定に慣れてきて読みやすくなり、ジェーンの章になって、ぐわーんと引き込まれた…ところで、読書会の時間終了。このまま読み続けよう。
- ハム@unia2025年8月13日読み終わったここまで現代の分断された世界を物語として落とし込んでくることに驚く。 複数の視点で語られる物語は出来事の核心を明らかにしないことで立つ視点に応じて情報がいかにたやすく交錯するかを暗示しているかのよう。 メタ的なメッセージもひしひしと感じる。 一見すると複数の視点による雑多な情報で進む物語は読みにくいと感じるかもしれないけど、それこそアダムのディベートにおける「スプレッド」という速く効率的に敵を倒す量に訴える態度を読者に体験させるかのように意図的に構成しているのかなと思う。 情報が溢れ、質より量となり、意味がぼやける。 著者はそんな世界に警鐘を鳴らすかのように、アダムや家族らに言語の、議論のその先に向かう態度を示させる。 平野啓一郎さんの文学に関するエッセイを読み終えたばかりだからか、文学の可能性ってほんとこういうところにあるよねと感じさせてくれるめちゃくちゃ示唆に富む素晴らしい一冊。
- 茅野@mizuumis2025年8月10日読み終わった精神分析、ディベート、詩、スピーチ…さまざまな形での言葉の扱いとそこに付随する話者の力の偏りを小説として批評的に示し、なおかつユーモアを忘れない ジェーンに肩入れしてしまうが また読みたい
- 画伯@ggahak2025年8月10日読み終わった難儀して読み終えた。残念ながらあまりピンと来なかった。家族と狭いコミュニティの話すぎた、よその家族のアルバムをソファでめくり続ける感じ。より大きな主題はざっくり言うと言葉の効果についてでそこはすごくエキサイティングに展開していくし自分の好きな方の話でもあるはずなんだけど、なぜか最後までなんとなく乗れず。有害な男性性やレイシズム、フェミニズムへの視座がとても真っ当でその点非常に安心して読めます。
- 阿久津隆@akttkc2025年8月4日お知らせ会話のない読書会@ 本の読める店fuzkue初台同じ本をただ黙々と読むだけの読書会である「会話のない読書会」、 8月21日(木)に『トピーカ・スクール』で開催いたします。 場所は本の読める店フヅクエの初台でございます。 当日は明庭社の家田さんにもお越しいただき、刊行の経緯等、少しお話いただきます。 映画館で見知らぬ人たちとひとつの時間を共有するような、不思議なグルーヴのある時間を体験しに、ぜひいらしてください〜🏃🏻 https://fuzkue.com/news/1478 ↑コピペしづらくてすいませんですが、がんばってこちらから詳細にたどり着いてください〜〜🚶🏻
- 阿久津隆@akttkc2025年8月3日読み始めた短い導入部の次は「スプレッド(アダム)」というパートでアダムのパートで湖上のボートから恋人のアンバーが消えてアダムはテンパった。アンバーの家に入って寝ている家族の横を抜け、アンバーの部屋にアンバーが寝ていることが確認できると安心してトイレに入っておしっこをした。「見慣れないドライフラワーが下がっていた。記憶が一瞬でよみがえり、身震いとともに家の印象は一変した」。 p.14 間違った家にいるのに気づいて圧倒的な恐怖を感じたが、そんな家々の差異と同時にそれらの同一性も認識したことで、自分が湖を囲むすべての家に一時にいるという感覚におちいった。まったく同じレイアウトがもたらす崇高さ。それぞれの家で、彼女や彼女に似ただれかがベッドにいて、眠っているか、眠ったふりをしている。彼女の保護者が廊下の奥にいて、大きな身体でいびきをかいている。炉棚の家族写真の表情とポーズは変わるかもしれないが、その表情とポーズの文法はどれも同じだろう。絵画に描かれた場面の要素は異なるだろうが、そんな違いも、見慣れた感覚と単調さを変えるほどではない。巨大なステンレス製の冷蔵庫を開け、あるいは人造大理石のキッチン台を見渡せば、よく似通った、組み合わせがわずかに違うだけのモジュール式の製品に出くわすだろう。 認識がいちどきに組み変わる感じ。ほんの少し違う感じ。殺人者としての自分、強盗としての自分、間違えているだけの自分、状況から導き出されるあらゆる可能性が全部重なって存在する感じ。だいぶ窮地という場面でこんなことを考えている感じ。全部が愛おしいというか、ベン・ラーナーを読んでいる、という強い実感がやってきてうれしい。 そのあとアンバーと再開してアンバーが語る液状化して椅子からゆっくり滑り落ちる、聴衆がいなくなったことに気づかずに延々としゃべり続ける義父を遠くから見る、その場面もまたすごくよくて、『10:04』の教室で子どもたちがヒステリックに笑い続けるところとか、悲劇を冗談にするところとか、そういうところを思い出しながら読んでいて、いやあ、と胸いっぱい。
- 阿久津隆@akttkc2025年7月26日買った@ Shibuya Publishing & Booksellers発売日の前だがあったりするだろうか、と淡い期待を持ちながら入り口最初の新刊のところを見渡した瞬間にすぐに目に入って平積みされていた。丁寧に持ち上げ、レジに運んだ。買ったはいいが、どのタイミングで読み始めよう、楽しみ過ぎて、ここぞ、という始め方をしたいと思い、『氷の城壁』の最終巻みたいに開くタイミングを逸しないといいのですが、と私は考えた。
- 明庭社@meiteisha2025年7月15日出版社より2025年7月28日、アメリカの詩人・小説家ベン・ラーナーによる長篇小説『トピーカ・スクール』(川野太郎訳)を刊行いたします。 本書は、ひとり出版社である明庭社の創業第一作となります。 著者にとって三作目の長篇小説にあたる本作は、2019年に原書『The Topeka School』として刊行され、翌2020年、ピューリツァー賞の最終候補に選ばれました。 日本ではこれまでに『10:04』(木原善彦訳、白水社)が刊行されています。 『トピーカ・スクール』はベン・ラーナー自身をモデルとした主人公アダム・ゴードンと、ともに臨床心理士である彼の両親、そしてクラスメートであり共同体から阻害された少年ダレンの視点から交互に語られる構成になっています。 言葉の限界と可能性、有害な男性性、論破と対話、詩とレトリック、共同体と世代を超えた反復——それらの主題が、精緻に、そして美しく交差しながら、ひとつの物語として編まれていきます。 海外では原書『The Topeka School』のいくつかの書評が公開されています。この作品に触れる小さな入口として、ご紹介します。 ■海外の書評(抜粋) 小説が「人生を変える」と宣言するのには、私は現代社会に囚われすぎているかもしれない。けれど、この小説が近年の米国が生み出した最高傑作のひとつであることには自信を持っている。我々の言語活動と経済活動いずれにおいても、そこにある「余剰」がその根底では無意味でしかない時代において、「深遠な芸術的体験」(1作目に登場する表現)に何らかの意味があるといえるだろうか? この小説はそれに「イエス」と答えている。 Garth Risk Hallberg「Ben Lerner’s ‘The Topeka School’ Revisits the Debates of the ’90s」NewYorkTimes, 2019年10月 https://www.nytimes.com/2019/10/03/books/review/topeka-school-ben-lerner.html 『10:04』が、ラーナー自身の人生とそのフィクションへの反映という二つの側面を行き来しながら読むことを求められるという意味で、「2枚折り」の小説だとするならば、『トピーカ・スクール』は「3枚折り」の作品だ。これは国家についての小説だ。そして、「あそこをつかめ(※トランプが女性に対して言ったとされる言葉)」の時代、そしてスティーブ・バノンと有害な男性性の時代についての小説だ。 Alex Preston「The Topeka School by Ben Lerner review – a work of extraordinary intelligence」Guardian, 2019年7月 https://www.theguardian.com/books/2019/nov/05/the-topeka-school-ben-lerner-review これまでの小説でラーナーは、小説の中にアイロニカルな不確定性を生じさせることで、確らしさとポストモダニズム的態度をマッチさせようとしてきた。しかし、本作はより真摯で、しかも感傷的な作品となっている。(...)『トピーカ・スクール』は、共同体の経験 (ある特定の文化が共有する比喩やイデオロギー、クリシェ) と個人的な感情(詩的表現の特殊性とその手触り) の両端を、そのいずれを変質させることなく、巧みに往復する、彼の最も成功した試みだ。 Jon Day「The Topeka School by Ben Lerner review – in a class of its own」Guardian, 2019年11月 https://www.theguardian.com/books/2019/nov/08/the-topeka-school-by-ben-lerner-review 『トピーカ・スクール』は、有害な男性的文化の中で「良い息子」を育てることの困難についての興味深い物語だ。それは、公共における対話が崩壊しごろつきと新興右派が政権を担い、白人男性たちがアイデンティティの危機にある「現在」にとっての、鮮やかな前史でもある。 Granta Books https://www.waterstones.com/book/the-topeka-school/ben-lerner/9781783785377 この小説は、ある意味では先史時代についての書物です。家族パターンが世代を超えて繰り返されたり壊されたりすること、1990年代の「歴史の終焉」という勝利主義的な言説が、トランプ主義の一つの表れである特定の白人男性の間で加速するアイデンティティの危機を覆い隠していたことなどについてです。私は、世代間の問題を捉えるために、本のレンズと文法を拡張する必要がありました。私は声を投じなければなりませんでした。 「Ben Lerner Talks to Ocean Vuong About Love, Whiteness, and Toxic Masculinity」 Literary Hub, 2019年10月 https://lithub.com/ben-lerner-talks-to-ocean-vuong-about-love-whiteness-and-toxic-masculinity/ 本の帯は本作を、“有害な男性性”についての小説だと表現するだろう。けれどそれはあまりに単純で簡略化され、複雑な物語を説明するにはひどくバズワード的であるようにみえる。男らしさ、男性的、男性性、構造化された性別を巡るこうした言葉が持つ病性は、物語に不可欠な要素である。しかしトピーカ・スクールは、深い意味において、言語に関する小説でもある。言語がなり得る、脅威と欺瞞についての小説だ。そして、コミュニケーションの不安定さについての小説だ。ラーナーは言葉が本来持つ暴力と危うさ、美しい言葉の中に潜む残忍さを描いているが、その一方で、いかにその同じ言葉が愛を表現でき、不安を和らげ、必要な慰めを与えることもできるかということについて語っている。(ラーナーはこれを思いやりを持って描いている。この小説は政治的であるけれど、シニカルではない)小説は、男性がどのように言語を使うか、そして男性が逆に言語によって使われるか、ということについて語る。「僕は父親だ」アダムは終章で言う。「僕は男性が持つ暴力性の古代からの媒体だ。その暴力性を、物質性を言語に置き換えることによって克服するのが文学だと思う Greg Cwik「The Pure Present: Ben Lerner’s The Topeka School」Blooklyn Rail, 2019年12月 https://brooklynrail.org/2019/12/books/The-Pure-Present-Ben-Lerners-The-Topeka-School/ (トピーカにおける中流階級の)特権的な玄関の向こう側には、貧困、人種差別、そして過激な同性愛嫌悪が渦巻いていた。 ベン・ラーナーの『トピーカ・スクール』は、これらを見事に描いているが、それはカンザス州の州都トピーカだけを題材にしているわけではない。この小説はトランプ時代のアメリカを描いており、主流メディアでほとんど取り上げられないトピーカを、国内各地で見られる文化的・政治的分断の震源地のような存在として描いている Amy Brady 「The Topeka of The Topeka School -How the Kansas city Ben Lerner and I grew up in transformed into ground zero for Trump’s America.」Slate
- mkt@mkthnsk2025年6月28日気になるツイッタから。 明庭社さんという新しい?出版社さんから出るみたい。すごく面白そう! ツイッタそのまま検索してて見つけた翻訳者の川野太郎さんの散文集「百日紅と暮らす」も気になる。(ここでは見つけられなかった) ここで本のページ?から作者で検索出来るようになってた。便利!