阿久津隆 "トピーカ・スクール" 2025年8月15日

阿久津隆
阿久津隆
@akttkc
2025年8月15日
トピーカ・スクール
トピーカ・スクール
ベン・ラーナー,
川野太郎
途中でふと、「スプレッド」の意味をよくわからずに読んでいる、きっと最初に説明していたのだろうけれど頭に入らないままここまで来ている、やっつけるみたいな意味で読んでいるが、あれはなんなんだろう、と思ってチャッちゃんに尋ねてみるとディベート用語で「できるだけ多くの主張・論点・証拠を、非常に速いスピードで提示する戦法」のことらしく、それは相手が処理しきれない量の論点を異常な速さでまくしたてる感じになるそうで、そういうことだったのか、と思うと納得したあとゾゾッとした。この小説のタイトルが「スプレッド」であってもおかしくなさそうだ。親の前で機嫌を悪くしたときのアダム、シーマを前に言葉を奔流させて最後に哄笑するシーマ、アダムに教えを与えるエヴァンソン、みんなスプレッドを仕掛けている感じだ。病床に臥せるクラウスの前でひどい想像をするのもイメージのスプレッドみたいに思えるというかディベーターとは立場を切り替えながらあらゆる可能性に自分を開いて言葉を構築していくのだろうからまったく自分自身の欲望とか意思とは関係のない想像が流れ出てくることは至って自然なことに思えた。そういえば論題充当性という言葉には「トピカリティ」という明らかにトピーカと響き合うルビが振られていたがトピーカは架空の地名なのだろうかと調べるとカンザス州に実在していてしかもベン・ラーナーの出身地だった。すごい地名だ。論題充当の地でベン・ラーナーは育った。論題充当性とは肯定側が提出した議論が用意されたテーマから逸脱していないかみたいなことらしい。トピーカスクール、トピーカスクール、と感嘆していると3時になったのでミーティングして終えると『トピーカ・スクール』を取って前に遡ってみたところスプレッドはじっくり説明されていてジョアンナがやっていた(この小説はなんでこんなにJの名前の人が多いのだろうか)。そのあと相手も応戦してきた。「一分に三四〇語の速度でエビデンスを読み上げ」、「読み終えた原稿は床に落ちるにまかせ」、「一瞬どもって言葉をもつれさせるが、この声量と速度ではまるで発作か卒中でも起こしているように響く」。それはこんなふうだ。 p.32 グレゴールのエビデンスによれば児童支援強化の結果裁判所のギョウ業務が溜まってゆき司法の過負荷はやがて国家のハタ破綻につながりその権力の空白は核戦争を中国もしくは北朝鮮の核攻撃をまねきその負担は肯定側のプランがどんな便益をもたらすとしてもオモオモ重すぎますソシソシソシそしてスティーブンソンが証明したのは肯定側のプランはとにかく問題解決性がないことでなぜなら国内の機関カラからの抵抗がシコ施行をさまたげるからでその不利な点のインパクトだけでも否定に投票するしかないはずダガだがもしぷらプランが検討に値するとしても問題解決性はない最初の肯定側スピーチにおけるジョージア州裁判所への主要な情報源は州規模だけで政府プログラムには適用できないナイから否定に一票を投じるしかないということです スプレッド、スプレッド、と思う。何か、魅せられるところがある。スプリットからなのだろう、切り裂くみたいな、そういう感じでいたのだけど、そう変わらない感じもあった。 少し昼寝しようと布団に行って本を開くと車の中が剣呑な空気だ。ジェーンがアダムに薬を渡したことにジョナサンが怒っている。ジェーンは「私は完全に対応を誤った」と謝罪する。 p.284 でもジョナサンはアダムになっていて―あの攻撃性、速度、こめかみの緊張―錠剤を与えたことが、私に境界を保つ能力が欠けていることの反論不能な証拠だと証明しようとした。いかに私があらゆるものを、関係性の交錯する網目のようにしてしまうか。私は紫の牛を書いた頭脳さんで、その牛をダレンが近所の丘から撃ち、ジョナサンの母は撮らずじまいだった最初の映画のなかで永遠にその牛に乗っていなければならない。誇らしいだろうね、家庭破壊者。ペニス羨望のがみがみ女。くそあま。ベイトゥだかペイトゥだかから来たイゼベルみたいな両性愛の売春婦―と彼は言わなかった。 「と彼は言わなかった」。涙出る。実際にジョナサンは涙し、やるせない場面だった。そのあとでモール・オブ・アメリカの講堂で1997年全国スピーチ・ディベートトーナメントの決勝戦だ、本番だ! というところまで読んで閉じた。
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