
阿久津隆
@akttkc
2025年8月19日

トピーカ・スクール
ベン・ラーナー,
川野太郎
読んでる
読書日記
布団でトピーカ。二人もベッドにいて、仰向けになった、アンバーが語りだした。ママはカンザスからあまり遠くに行ってほしくないみたいだけど、とアンバー。ダンスと学問がちゃんと結びついたところを見つけるには東部に行かなきゃいけない、とアンバー。戻ってきたら医者になれる、とアンバー。そうなったら最高だよね、とアンバー。ビーチでくつろいで、めちゃくちゃにラリったりして、とアンバー。アンバーの語りは不思議な凄みを帯びていった。
p.322,323
わかってないでしょ、あなたがクソ野郎じゃないとき、私があなたと一緒にいるのがほんとに好きだってことも、あなたと同じ部分と違う部分がわかるときの気分がどんなかも―あなたは私の声も、他人が抱えた問題も、眼内閃光も、音素も思い描けないでしょうけど。まるでいま、幼少期の広大で空虚な染みが内側で濃くなっていくよう。私たち、偽のIDがあったらいいんだ。私はあなたに現実のことを話しているのか、現実から程遠い夢のことを話しているのか、いつもほとんどわからないの。この植物を両手ですりつぶしたら、街灯が消えて、サイレンが鳴るよ。まもなくヘールボップ彗星が近日点を通るところで、青いガスのしっぽが太陽の外を向いている。氷河の青い氷。目を閉じてまぶたを押したらそれが見えるよ。私のなかではいつも、いちばん確かなものが夢のなかに溶けて、夢は確かさのなかに溶けていく。その奥には宇宙船があって、私たちがここにこうして横になっているあいだにもヘヴンズ・ゲートの信者たちがフェノバルビタールとアップルソースとウォッカを混ぜて寝台に潜りこみ、頭を紫の布で覆うよ―肉体と、歴史が終わったこの星から送り出されるためにね、それが九七年のクラス。
涙出た。なんだこの語りは。
p.323,324
この夜、アダムにはラップ・バトルとミソジニストの常套句に潜む馬鹿げた暴力性を乗り越え、センテンスが意識的に制御できない速度で展開する領域に突入した。その地平においては構文の機械装置にどんな言葉を詰めこむかは問題ではなく(交換可能性の崇高さ)、ビッチや大麻やスティングレイ監視プログラムで韻を踏んでも、自分が愚鈍に見えても問題ではなかった。肝心なのは、言語という社会性の根底をなす媒体が抽象的な力としてあらわれることであり、また彼が、ほんの一瞬でも、純粋な可能性としての文法を垣間見ることだった。
やばいやばい。加速していく。加速の先にあるのはどう考えても急停止だ、すべてが弾け飛ぶ瞬間だ、最大音量の静寂だ、「そこにアイロニーがあるとすれば、そのすべてが冷酷なものではなかったということだ」、ダレンにできることはスプレッドの可能性を潰すことだろう、スプレッドのための器官とは顎だ。顎をやれ。光が消えたら、顎をやれ。
p.325,326
混み合った地下室で全員が位置につくと、光が消える。あちこちにパイプをかざしたライターの光、ポータブルステレオの青い電子ディスプレイ。キューボールをクリックして台の縁までドラッグし、マンディ・オーエンの顔―横顔―のそばに置け。マウスから手を離すと、ボールは彼女のこめかみの三インチ下にぶつかり、顎の数か所を砕き、歯を何本か取り去り、失神させ、彼女の発話を永遠に変える。明かりが戻ってくると、彼女はうつ伏せになって床に倒れている。血が広がって(スプレッド)いく速度に叫び声が上がる。やっと音楽が止まる。