JUMPEI AMANO "インターセクショナリティで語..." 2025年9月1日

JUMPEI AMANO
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年9月1日
インターセクショナリティで語る植民地支配と侵略戦争
吉田裕さんへのインタビューは序章ということもあり(?)軽めだったけど、第1章(熱田敬子さん「国家謝罪なきフィールドを調査する——日本軍性暴力被害者の名誉回復運動」)から一気にギアが上がる感じ。 調査前史のセクションも重要だし、本論である「フィールドノートから見る『お金の問題』と被害女性のまなざし」以降も多くのことを学ばせていただいた。「被害者は金が欲しいだけだろ」みたいな言説がいまだに跋扈しているだけに、読まれてほしい(講義録なので内容は掴みやすいけれど、もう少し文章整理されていたほうが読みやすい箇所もあった印象)。 〈のこす植民地支配や占領において旧帝大の学問が果たした役割は、批判されるどころか、「アジアと日本の接点」として評価されています。〉(28頁) 〈植民地支配された側が、今でもこうしたポストコロニアルな問い直しをしている中で、海南島や中国、台湾、朝鮮で調査をした社会学者の植民地支配、侵略戦争の責任が問われず、植民地出身の「ネイティブ」として宗主国に留学した人たちのポストコロニアルな状況を帝国大学との接点が意識されなかったと評価し、強制労働をさせるために行われたフィールド調査を「実証研究にシフトしていく大きな契機」として無批判に現在の学問のルーツに位置付けるなら、今でも植民地支配・侵略戦争以来の知的体制を受け継いでいることになります。〉(29-30頁) 〈日本政府の謝罪賠償が行われていたら、これほどまでに被害女性を無力な存在だとするまなざしが蔓延していただろうか[...]。/[...]謝罪や補償がないフィールドで調査をすることは、被害国、被害地域においても被害女性へのまなざしが更新されないまま、無力だとか、恥辱だという形で固定されてしまっている部分があることを前提として調査する必要があります。[...]/[...]金が欲しい被害者というのは、いったい誰のまなざしのなかにいる存在なのか、私たちは問わなきゃいけないんじゃないかと思います。〉(74-75頁)
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