インターセクショナリティで語る植民地支配と侵略戦争

インターセクショナリティで語る植民地支配と侵略戦争
インターセクショナリティで語る植民地支配と侵略戦争
ふぇみ・ゼミ&カフェ運営委員会
あけび書房
2025年7月7日
14件の記録
  • ユウキ
    ユウキ
    @sonidori777
    2025年9月20日
    女性の経験から見た戦争経験、「慰安婦」だった女性たちへのインタビューやフィールドワークの経験、戦時中に日本に連行されてその後も日本で暮らさざるを得なかった女性、台湾の2・28事件、日本占領下の香港、傷痍軍人の研究等、イーターセクショナリティを前提にした植民地支配の語りは知らないことも多く、勉強不足を痛感する。 中でもショックというか思い至らなかったのは「慰安婦」という言葉に含まれた暴力性の指摘だった。そもそも慰安ですらない性奴隷制度で、慰安所以外での強姦が横行していたことも踏まえると、本書にあった日本軍性奴隷制、戦時性暴力の被害者という言葉がより包括的なんだろうと思う。 日本占領下の香港についての歴史の研究者が香港にも日本にも少ないのも驚いた。虐殺もあったが、日本でも触れられることがほぼないのは怖い。 私も香港は何度か行っているけど、日本の占領下にあったという事実以外はほとんど知らなかったな…。
  • めりっさ
    めりっさ
    @mel_reads
    2025年9月3日
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月3日
    終章のインタビュー(中村江里さん「日本軍兵士の戦争トラウマ」)はその名の通り見過ごされてきたトラウマの話。「戦争神経症とジェンダー化・人種化」の話などは特に重要だと思う。 余談だけど中村達さんの『君たちの記念碑はどこにある?』でも西洋中心主義的に組み立てられたトラウマ理論は手厳しく批判されている。あわせて読んでいただくと面白いと思う。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月3日
    第5章残りを読む。〈日本の香港侵略、占領支配という歴史自体が日本人の頭に入っていません〉(162頁)という著者の言葉、耳が痛い。 第6章(松田英里さん「近代日本の戦争障がい者」)も読む。「癈兵」の視点から日清・日露戦争を捉え返し、戦前期日本社会が戦争犠牲者とどう向き合ってきたのかを報告する小論。以下の記述などにハッとさせられる。 〈恩給法の成立後、戦死者の慰霊のため癈兵団体は戦跡巡りの旅に出かけています。朝鮮から「満州」へと移動するなかで、在朝・在満日本人の温かな歓迎を癈兵は受けることになります。日本国内では、障がい者として蔑視され、冷淡な視線を向けられていた癈兵は現地の日本人の歓迎ぶりにいたく感動したようです。また、かつての戦場跡地が「発展」した様子を目の当たりにし、自らの戦争体験の意義を再確認することになるのです。恩給増額・待遇改善運動では国家・社会と対立した癈兵ですが、朝鮮・「満州」への固執と繋がっているという点では、国家の戦争の「記憶」と癈兵の戦争体験の位置づけは親和性があったと言うべきでしょう。/日中戦争以降は、それがより鮮明になっていきます。[...]〉(176-177頁)
  • はな
    はな
    @hana-hitsuji05
    2025年9月3日
  • くりこ
    くりこ
    @kurikomone
    2025年9月2日
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月2日
    第4章(沈秀華さん「人探しの2.28 ——ジェンダーと国家暴力、責任の問題」)読む。タイトル通り、2.28事件や白色テロという重要な台湾の歴史や記憶が男性だけのものでありえるのか?という問いに、オーラルヒストリーで迫る。日本人としては以下の経緯を押さえておくことも重要。 〈第二次世界大戦に日本が敗れ、中国の国民党が台湾にやってきました。国民党は日本の政策を引き継いで煙草を専売とし、闇煙草を取り締まりました。1947年、警察が台北市の路上で闇煙草の取り締まり中に、ある煙草売りの女性を殴りつけ、さらに抗議した群衆に対し発砲し、一人の市民を射殺したことから、民衆の抵抗運動に火をつけました。〉(96頁) 第5章(和仁廉夫さん「日本占領地香港とその周辺」)も半分ほど読む。プロの学者がまじめに取り組んでこなかったという戦時期香港史を専門とする先生の貴重なお話。勉強させていただく。 〈まず、香港をどうとらえるか? 私たち日本人に一番欠けているのが、香港という都市を固した空間と見がちなことです。私はこれを間違いだと思っています。〉(126頁) 〈香港のように、植民地百数十年の歴史のなかで、人が増える、減る、また増える、入れ替わる、土地も増えるという可塑性の高い社会を対象とした時、異文化理解に欠ける日本人は、ますますわからなくなるのではないでしょうか? 香港社会が持つ多様性。多面性にとくに留意して観察していく必要を痛感するのです。〉(132頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月1日
    第2章は洪昌極さんの小論「日韓の歴史をたどる 土地の収奪」。小論ゆえ入門に最適。知っておくべき歴史をコンパクトに知ることできる。第2次日韓協約、「韓国併合」と土地調査事業、日本帝国主義の武力を背景とする「武断政治」、国策事業「産米増殖計画」。要は土地と米の収奪。偶々ではあるけど9月1日に読むに相応しい内容だった。 〈朝鮮人が故郷を追われて日本や満州へと離散していった背景には、植民地朝鮮の以上のような悲惨な状況が存在していました。当時の日本での社会調査によれば、在日朝鮮人の渡航理由は、「農業不振」や「生活難」が大半を占めていました。/「韓国併合」前年に800人たらずだった在日朝鮮人人口は、「産米増殖計画」が実施されている1930年には30万人超えています。厳しい渡航管理体制の中、渡航した朝鮮人たちが仕事にありつけた場合でも、日本人労働者の半分以下の賃金(民族差別賃金)によって雇われていたのです。〉(83頁) 第3章も短めの寄稿。朴金優綺さん「裴奉奇さんを記憶する——朝鮮半島の分断を超えて」、初出は韓国・日本軍「慰安婦」問題研究所のウェブマガジン「キョル」2022年6月。これもまた、私(たち)が記憶しなければいけないこと。 〈「友軍が負けて悔しいさぁ」と言わせるほどに裴さんを「皇民臣民」化しようとした日本帝国主義の暴力、「戦後がもっとつらかった」と語らせ、故郷に「行きたいけど、行けないさぁ」と涙させた東アジアの冷戦と朝鮮半島の分断。「戦後」にも米軍基地が存続し続ける沖縄への構造的差別と暴力。しかしこの構造的暴力に抗うように、金さん夫妻との出会いと交流を通じて自らの被害を客観的に認識し、世界に向けて初めて告発し、「謝ってほしいさ」「統一したときに帰るんだ」と、裕仁の謝罪と朝鮮半島の統一を希求するに至った裴さん。〉(90-91頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年9月1日
    吉田裕さんへのインタビューは序章ということもあり(?)軽めだったけど、第1章(熱田敬子さん「国家謝罪なきフィールドを調査する——日本軍性暴力被害者の名誉回復運動」)から一気にギアが上がる感じ。 調査前史のセクションも重要だし、本論である「フィールドノートから見る『お金の問題』と被害女性のまなざし」以降も多くのことを学ばせていただいた。「被害者は金が欲しいだけだろ」みたいな言説がいまだに跋扈しているだけに、読まれてほしい(講義録なので内容は掴みやすいけれど、もう少し文章整理されていたほうが読みやすい箇所もあった印象)。 〈のこす植民地支配や占領において旧帝大の学問が果たした役割は、批判されるどころか、「アジアと日本の接点」として評価されています。〉(28頁) 〈植民地支配された側が、今でもこうしたポストコロニアルな問い直しをしている中で、海南島や中国、台湾、朝鮮で調査をした社会学者の植民地支配、侵略戦争の責任が問われず、植民地出身の「ネイティブ」として宗主国に留学した人たちのポストコロニアルな状況を帝国大学との接点が意識されなかったと評価し、強制労働をさせるために行われたフィールド調査を「実証研究にシフトしていく大きな契機」として無批判に現在の学問のルーツに位置付けるなら、今でも植民地支配・侵略戦争以来の知的体制を受け継いでいることになります。〉(29-30頁) 〈日本政府の謝罪賠償が行われていたら、これほどまでに被害女性を無力な存在だとするまなざしが蔓延していただろうか[...]。/[...]謝罪や補償がないフィールドで調査をすることは、被害国、被害地域においても被害女性へのまなざしが更新されないまま、無力だとか、恥辱だという形で固定されてしまっている部分があることを前提として調査する必要があります。[...]/[...]金が欲しい被害者というのは、いったい誰のまなざしのなかにいる存在なのか、私たちは問わなきゃいけないんじゃないかと思います。〉(74-75頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年8月31日
    「はじめに」と序章の対談(吉田裕×梁・永山聡子)を読む。戦後75年時に収録された対談だからこそ、では今は?と考えながら読める。 〈講和、賠償、歴史認識、歴史教育、戦没者の追悼、内外の戦争犠牲者への補償[...]大きな問題なのは、日本政府の対外的な発信と、国内世論や国民感情との間に大きなずれが生じていることです。対外的には、サンフランシスコ講和条約の第11条で「東京裁判の判決を受諾」すると言っている。つまり、満州事変以降の一連の戦争を「侵略戦争」とした東京裁判を認めているのが日本政府の基本的な立場です。ただし、サンフランシスコ講和条約は、冷戦のなかで同盟国の日本を強化するという思惑がアメリカにあったためアジア諸国に対する戦争責任の問題は非常に不十分です。それを補ったのが1995年の村山首相談話。これで侵略戦争と植民地支配の歴史に対する「反省」と「お詫び」を表明した。/しかし[...]〉(18-19頁、吉田)
  • Blue moon
    Blue moon
    @mimosamimi
    2025年8月16日
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年8月14日
    登録し忘れていた。ふぇみ・ゼミついでに購入。
  • 喜多倉
    喜多倉
    @kitakura473
    2025年7月24日
  • はー
    はー
    @hachihot
    2025年7月24日
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