
Ryota.T
@ausryota
2025年9月2日

BUTTER
柚木麻子
読み終わった
展開が面白くて徹夜で読もうとしたが、圧巻のボリュームで読みきれず、2日かけて読んだ。社会批評の鍋のようで、多くの具材をまだ消化できないでいる。
家族は円満であるべき。女は男を支えてケアするべき。誰もが一人で自立してやっていくべき。娘は父の期待に応えるべき。女は痩せた身体を保つべき。俺たちは、いつまでこのような「べき」に従い続けるんだろう。
公の秩序を保つため?各人が義務を果たすため?毒のある「べき」からは手を洗いながら、同時に、自分とは違うこだわりがあり、一瞬一瞬変わっていく、手のつけられない他者とともに生きていく方法を探したいと思った。
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男として生まれて、性自認も男で、異性愛者の立場で、高校のときから変わらず痩身でいる私がこれを読むことはすこし変わった体験だった。
時折俺は、性欲でひとを見てしまうことがある。性愛がその人への愛を凌駕してしまうことがある。
けれども、その人を見ようとしなくなると、関係はすぐに歪んでしまう。その人がのびのび変わっていくことを求めるような動的な関係を求めるのではなくて、変わらないでいて欲しい、自分の言うことを聞いて欲しい、こだわりや自己主張は控えて欲しい、と思ってしまう。このような時、自分がその人を人間として見ていなくてぞっとする。静的な関係を求め始めたら赤信号だと思う。
社会に潜む毒のある義務はすべて、人間を、もしくは関係を静的なものへと固定しようとするエゴでできている。そのエゴは俺のなかにもある。村上春樹作品が醸し出すような男性性は俺ももっている。
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エゴと縁を切るには、自分を正しく満たす必要がある。仕事で自分の能力を発揮する。深夜にバター醤油ご飯を食べる。好きなひとの肌を求めてベッドに誘う。友達と対等に悩みを分かち合う。
ここには原初的な喜びだけがあり、毒のある「べき」も勝ち負けを決める競争もない。人間関係を我が物とするような邪念もここにはない。
すぐにはそれらが叶わなくても、自分がこれが最善と思ったことを諦めまいと意志するとき、自分を正しく愛することができる。自分を正しく愛するために必要なのは、容姿でもお金でもステータスでもない。
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ひとは原初的な喜びを味わうことでしか、自分の幸福の適量を見つけられない。俺は哲学とバレーと好きなひとさえいれば、幸せだとわかりつつある。
他者もまた、自分の幸福の適量を探している。他者に敬意を払うというのは、他者が原初的な喜びを得ようとすることを、自分と同じ強度で認めること。
他者は、自分の思い通りには動かない。付き合ったとしても、結婚したとしても、お互いが変わっていくなかで交わり続けることを願うくらいしか、できないんだろうな。
それをすこしさみしい気もするけど、そうやってひとを曖昧に好きでいたい。それに、二人でいれば「見えないものが見えるようになる」関係、互いを失いたくないと思う関係は素敵だなと思った。性愛なしでも隣に入れるのは息がしやすい。美しいシスターフッドを見させてもらった。








