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たけうち
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@von_takeuchi
哲学だいすきクラブ
  • 2026年1月10日
    扉は閉ざされたまま (祥伝社文庫)
    ほんためより。容疑者Xの献身ばりの頭脳戦を期待。
  • 2026年1月10日
    ラヴレターズ
    ラヴレターズ
    ほんためより。こんなん絶対おもろいですからね。
  • 2026年1月8日
    走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
    哲学相談と呼んで一対一の対話をやっているのだが、私のやっていることは伴走と呼ばれることがある。 実存の危機に際して、または自分のことをもっとよく知りたい、自分の人生が何なのか知りたいというゲストの探究心に寄り添って、人生の一時期をともに走る。どんなに立ち止まりたい、自分を振り返りたいと思っても、そのひとには仕事があり、生活がある。だから私も一緒に走る。 この哲学相談のともに走るという営みは、ゲストと友になる試みでもある。友は友達ではない。友というのは、互いに関係へと巻き込まれ、もう出会う前には戻れないようなひとのことを指す。そのような友なしに、私は文字通りここまで生き延びることは出来なかったし、友はいつも途方に暮れる私を見つけてくれた。 郵便局に荷物が届いていますので取りに来て下さい、という通知を手に取り、宛先に友の名前を見つける。そのひとは、私がその宛先の名前を見てどれほど喜んだか、知らないだろう。どんなに離れていてもともに走っているのだ、と思い、思わせてくれることに私がどれほど感謝しているか、知らないだろう。 生きていても哲学相談をしていても確信することは、ひとは孤独には生きていけない、ということだ。私たちは、ともに走る友を必要とする。
  • 2026年1月8日
    はくしむるち
    はくしむるち
    豊永浩平が来てるらしい
  • 2026年1月6日
    差異と反復 下
    差異と反復 下
    第四章の潜在的であることの話に目を剥いて読んだ。可能性と潜在性は異なる。すでに完成された可能性が実在へと位相を移すのではなくて、何が現実化されるかわからないという意味で未完成なものとして問題の場がある。 私たちが可能性があると言うとき、何が起こるかは定まっている。可能性を狭めないと言うとき、起こることのリストは規定されている。私たちが潜在性について口にするとき、何が起こるかは定まっておらず、創造的な生成について考えている。その飛躍に賭けようとするとき、私たちは自らの可能性ではなく潜在性に賭けているのだ。 ポテンシャルという言葉で私たちが想起するのが可能性であって、2000年後にも影響を及ぼし続けるアリストテレスまじでバケモンだなと思うけど、アリストテレスの洞窟から抜け出したドゥルーズも規格外
  • 2026年1月1日
    エチカ(倫理学)上(スピノザ)
    エチカ(倫理学)上(スピノザ)
    自死は内的な必然性から絶対出てこないと、スピノザが断言するところアツかった。スピノザだいすきかもしれん
  • 2025年9月23日
  • 2025年9月23日
    あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか
    身体は考える前に知っている
  • 2025年9月17日
    カウンセラーの選びかた
    カウンセラーの選びかた
    心理療法の権威がユーザーに向けて書いた本らしい👀
  • 2025年9月13日
    痛いところから見えるもの
    むむむ
  • 2025年9月13日
    男性のいない美術史 女性芸術家たちが描くもうひとつの物語
    男性のいない美術史 女性芸術家たちが描くもうひとつの物語
    もしかして来るのか?イタリア女性画家、アルテミジア・ジェンティレスキ……!
  • 2025年9月11日
    つまり“生きづらい”ってなんなのさ?
    なんなんだろうな。
  • 2025年9月11日
    ひゃくえむ。新装版(上)
    「やる気か?」「もちろんガチで」 負けるのは怖い。だから、会社を辞めて、評価の外にある海外へ飛び、ウィーン大学に行った。まだ日本人じゃ真剣には誰もやってない、哲学相談を始めた。そこには競争がなく、負けることがないから。でもライバルが現れた。阪大の同い年の博士学生。論文を書き、講師として教壇に立ち、対話も相談役にも挑む彼に勝てない、と思った。読んでる量が違う、と思った。 この夏、腹の調子が悪かったのは、ヨーロッパの記録的な猛暑ばかりではない。彼から、哲学から、逃げられないと思ったからだ。京都の研究者に、哲学をやるというのが、過去から学ぶことなしに、もしくは弛まぬ精神の鍛錬なしになし得ないことを突きつけられたからだ。文献を読んで書いたものを発表すること。自分のやった対話を専門家に見てもらうこと。格上の実践者の背中を見て学ぶこと。どれもこれも、震えが止まらなかった。自分が否定されるのが怖かった。 でも、真剣勝負なんだ。負けるかもしれない怯えも、否定されるかもしれない恐怖も含めての、本気の高揚と競争の昂奮なんだ。俺も、全力疾走しようとしてるんだ。 彼に勝ちたい。研究者をギャフンと言わしてやりたい。哲学することを試みるというのは、論理の展開(アーギュメント)なんかじゃなしに、真であるものを捉え、語ろうとする勇気であり、真であるものは出来事として、隠された状態から姿を現すのだと言いたい。 ああ、全力疾走したくないな。疲れるから。負けたら嫌だし、色々恥かくし……ああ、全力疾走したくないな。 「やる気か?」「もちろんガチで」
  • 2025年9月9日
    1Q84 BOOK1
    1Q84 BOOK1
    千葉県市川市出身、筑波大学数学類の出の人物が登場すると聞いて。
  • 2025年9月6日
    臨床心理学 第25巻第5号 開業論
    いつか開業するかもしれないので
  • 2025年9月2日
    ナイルパーチの女子会 (文春文庫)
    次はナイルパーチかな🐟
  • 2025年9月2日
    BUTTER
    BUTTER
    展開が面白くて徹夜で読もうとしたが、圧巻のボリュームで読みきれず、2日かけて読んだ。社会批評の鍋のようで、多くの具材をまだ消化できないでいる。 家族は円満であるべき。女は男を支えてケアするべき。誰もが一人で自立してやっていくべき。娘は父の期待に応えるべき。女は痩せた身体を保つべき。俺たちは、いつまでこのような「べき」に従い続けるんだろう。 公の秩序を保つため?各人が義務を果たすため?毒のある「べき」からは手を洗いながら、同時に、自分とは違うこだわりがあり、一瞬一瞬変わっていく、手のつけられない他者とともに生きていく方法を探したいと思った。 * 男として生まれて、性自認も男で、異性愛者の立場で、高校のときから変わらず痩身でいる私がこれを読むことはすこし変わった体験だった。 時折俺は、性欲でひとを見てしまうことがある。性愛がその人への愛を凌駕してしまうことがある。 けれども、その人を見ようとしなくなると、関係はすぐに歪んでしまう。その人がのびのび変わっていくことを求めるような動的な関係を求めるのではなくて、変わらないでいて欲しい、自分の言うことを聞いて欲しい、こだわりや自己主張は控えて欲しい、と思ってしまう。このような時、自分がその人を人間として見ていなくてぞっとする。静的な関係を求め始めたら赤信号だと思う。 社会に潜む毒のある義務はすべて、人間を、もしくは関係を静的なものへと固定しようとするエゴでできている。そのエゴは俺のなかにもある。村上春樹作品が醸し出すような男性性は俺ももっている。 * エゴと縁を切るには、自分を正しく満たす必要がある。仕事で自分の能力を発揮する。深夜にバター醤油ご飯を食べる。好きなひとの肌を求めてベッドに誘う。友達と対等に悩みを分かち合う。 ここには原初的な喜びだけがあり、毒のある「べき」も勝ち負けを決める競争もない。人間関係を我が物とするような邪念もここにはない。 すぐにはそれらが叶わなくても、自分がこれが最善と思ったことを諦めまいと意志するとき、自分を正しく愛することができる。自分を正しく愛するために必要なのは、容姿でもお金でもステータスでもない。 * ひとは原初的な喜びを味わうことでしか、自分の幸福の適量を見つけられない。俺は哲学とバレーと好きなひとさえいれば、幸せだとわかりつつある。 他者もまた、自分の幸福の適量を探している。他者に敬意を払うというのは、他者が原初的な喜びを得ようとすることを、自分と同じ強度で認めること。 他者は、自分の思い通りには動かない。付き合ったとしても、結婚したとしても、お互いが変わっていくなかで交わり続けることを願うくらいしか、できないんだろうな。 それをすこしさみしい気もするけど、そうやってひとを曖昧に好きでいたい。それに、二人でいれば「見えないものが見えるようになる」関係、互いを失いたくないと思う関係は素敵だなと思った。性愛なしでも隣に入れるのは息がしやすい。美しいシスターフッドを見させてもらった。
  • 2025年8月30日
    言葉の獣(1巻)
    なんかビビッときたのでここに保存しておく
  • 2025年8月18日
    NHK「100分de名著」ブックス マーガレット・ミッチェル 風と共に去りぬ
    スカーレットの逞しさが話題になったので
  • 2025年8月18日
    世界の美しさを思い知れ
    やはり死の香りがするほうへ引き寄せられている
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