中根龍一郎 "神秘の人びと" 2025年9月2日

神秘の人びと
神秘の人びと
古井由吉
まだ読んでいる。少しずつ読んでいる。なかなか忙しい時期なのでぜんぜん進まないけれど、読み味はわりあい易しいので、読みが速いひとならたぶんするする読めるだろう。つっかえながら読むという感じではない。むしろ書いている古井由吉がずっとつっかえながら本を読んでいるところが描かれるので、話の進み自体がじっくりとしていて遅い。その遅さが自分の読み方の性に合う。 本を読んでいると、言葉につかまってしまうという経験をすることがある。うまく意味の取れない言葉や、きわめて大切な気がする(しかし一読ではその予感だけで、どのようにそうなのかをうまくつかみきれない)言葉に出くわして、その言葉にどういうふうに近づいたらいいか、ためつすがめつして検討する。置いておいて先に進んだほうがいいことは多々ある。でもすこし立ち止まればより輪郭が見えてくることもある。どれくらいを手持ちに加えてから先へ進むのが妥当かは、そのつどつどで見通しのない決め打ちだ。でもそういうふうにして言葉につかまるのは楽しい。そして楽しいからこそ、できるだけ時間をかけたい。でもいつかはその読みにけりをつけ、先に進むことになる。その後ろ髪引かれるような感じもまた楽しい。 古井由吉もそのように、意味の取れない言葉につかまり、あの手この手でその言葉のあらわすところに近づこうとして、しかしもうひとつうまくいかずに、なんとか章をひとくぎりつける。連載だからこその時間や分量の制約もおそらくそこにはあって、それがいいあんばいの有限性を課している。 言葉はしばしば私たちをつかまえる。しかし私たちの側はその言葉をつかまえることができず、ただ、あのときあの言葉が私たちをつかまえ、私たちはあの言葉をつかまえそこねたのだ、という思い出を残してものわかれになる。すこしは手のなかに残るものもあることがある。そのようにして、読めないものを読もうとする試みは楽しい。 ということをiPhoneでポチポチ書いていたら、電車をひと駅乗り過ごした。降りる駅に着く前に終えないとならない。書くことにせよ読むことにせよ、そうした有限性が無限を制し、行為を成り立たせる。
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