
DN/HP
@DN_HP
2025年9月2日

その猫の名前は長い
イ・ジュへ,
大阿久佳乃,
牧野美加
かつて読んだ
彼女たちが「わたしたち」を描くとき、わたしはそれをどう読むべきか、何が読み取れるのか。彼女たちの人生の物語に没入する、その立場から世界をみる。感情を共有する、した気になる。素晴らしい小説ならばそれは容易だけれど、様々な立場やシチュエーションで描かれる彼女たちの物語には、通底して流れているものがある。彼女たちに立ちはだかり襲いかかってくるもの。わたしはそちら側にいるのではないか、いるのだ、ということも意識せざる得ない。するべきだ。物語ること、あるいは読むことで「わたしたち」がそうしようとするように、わたしもわたしの立場から解説に書かれていたように「男性の主観性の客観化」をしていかなければならない、というようなことを思う。
それぞれの短篇で感じた物語ることの凄さ、共感や憤り、涙。いちばん好きだった一編「春のワルツ」、パートナーの三人の母親。彼女たちの語る家族になるまで、"春”になるまでの物語を読んで感じた踊り出したいような爽やかさや暖かかみ、少しの涙、素晴らしい小説を読んだという感動と喜びも大切にしたい。
素晴らしい小説を読んだ、わたしの読書においてはその時点で十分なのかもしれない。けれど、素晴らしい小説というのは、読書自体の感動意外にも読後に大切なもの、選択肢を残していくのだとも思う。それも同じように、大切に考えたり活かしたりしていきたい。







