さとう "だめをだいじょぶにしていく日..." 2025年9月3日

さとう
さとう
@satoshio
2025年9月3日
だめをだいじょぶにしていく日々だよ
「だめをだいじょうぶにしていく」という言葉と、帯の文章に惹かれて購入。 ここ半年ぐらい「自分のだめなところ」「だめではないところ」を考えて、だいじょうぶに持っていく作業を続けていたけど上手くいかず、そして「そもそもだいじょうぶって何をもってだいじょうぶなの?」とぐるぐる考えていたから、このタイトルを見て引き寄せられるように手に取った。 まだ2章までしか読めていないけど、涙が止まらない。私も他人も見えてないだけ、見せていないだけで、いろんなことを抱えているけど、それを少しでもだいじょうぶにしていくために、今日もどうにか踏ん張っていこうね。
さとう
さとう
@satoshio
◆生きづらさ、という言葉で一括りにしてしまってはたくさんのことがこぼれ落ちてしまうほど、深刻で早急に対処すべき問題をいくつも抱えた世界に生きている。でも、それでも、日常のささいなことで落ち込み、過去のできごとにつまずきつづけている自分のことも放っておけなかった。 ◆みんなくるしいね、というときの「みんな」が誰なのかはわからなくとも、そこに自分の姿を見出したことがない人はいないんじゃないか。そんなとき、わたしたちはテーブルの下で見えない手をつないでいる。 ◆今はちゃんと立っているように見えても、いつ崩れ落ちてしまうかもわからない、目には見えない無数の傷を抱えている人たちはどうしたらいい? ◆ぶつけるのは何かを調整する必要があったからなのだと、たとえば過去にしそこねたことや、これから起きるかもしれない怪我やなんか、そういうのをおぎなったり前もってやわらげたりするための調整なんだ。 ◆わたしにとって、過去をくり返し思い出したりそのことを飽きずに何度も何度も書いたりするのはきっと同じことなんだろう、それは少しずつでもじぶんの人生と調和していくための整え。もしくは自分の足で立つことのほんとうの意味を思い出すためのリマインダー。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved