チャモピーピーチャマ "実験の民主主義" 2025年9月3日

実験の民主主義
実験の民主主義
宇野重規,
若林恵
質の高いやりとりないし対話が構築されていることに舌を巻く一方で、これが本書で引かれたプラグマティズムと民主主義の関係において想定された「まずやってみる」に当たるとするならばレベルが高すぎるとふるえた 民主主義の定義をいったん外において、民主的な社会をどう構築していけば良いだろうか、と言う問いをメディア論に強い編集者と考えていくのは政治思想史的(哲学ぽくない)だった。 人々とメディアとの関わりにおいて、推し活(カフェに行って写真を撮って投稿してみる、切り抜き動画をつくってみる、ファン同士で勉強会を開いてみる)が能動的なファンダムの民主性として取り上げられる一方、市民参加の進展と総動員のつながりがアイドル総選挙(票数という形でしか参画できない個人が搾取されてしまう)に対応しているのが面白かった。 ↑この「市民参加の拡大と総動員体制は紙一重」という見方が好き 女性の賃労働への参加も市場経済における女性の搾取の開始と読みかえることが可能かも?(その場合、自分には何ができるのか考えて主体的に関わっていくことが搾取ではなく参画に高めていこうね〜というのが本書の趣旨?) プラグマティズムは全くさわったことがなかったので面白そうだなと思った、エリート民主主義の対局みたいな主張ぽくてあまり好きにはなれなさそうだけど。最近『職業としての政治』で政治家たる資格みたいな話を見た気がするのでそこの対比からも考えてみたい 実際に、まずやってみる、やってみることに価値がある、手を動かすことによる民主主義の実践を試みるという本書の主張は、各アクターの主張が「正しい」のかという評価についてはあまり触れられていない。そこもコミュニティないの漸進的なやりとりでよくしていきましょうね〜という感じだろうか。相対主義に陥ってしまいそうなところを、人がコミュニティを行き来できるという「軽やかさ」で解決できると考えている?多様な社会階層の人が集まってうんと考えて落ち着いたのが排外主義とか差別主義とかになった場合、どう評価するのだろうか。 なんにせよこんな楽しそうなおしゃべりは私にはできないので寂しい!知識をつけたいねー、、あと再読しようねー
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