
ねこ
@notoneko25
2025年9月3日

傷を愛せるか 増補新版
宮地尚子
買った。リストから。
「他者を愛する」とは、自分とはちがう存在、自分には理解できないもの、自分では受け入れられないものをもっている存在を、まさに自分には理解できないし、受け入れられないからこそ、尊重するということである。けれどもそれは「他者から愛されない」ことを受け入れることであり、相手の選択が死であるときは、他者との「他者としてのつながり」さえも断ち切られることになる。
それらの喪失を認め、受け入れることは、新たな生活に向かうために必要だが、けっしてたやすくはない。けれども、幸せを心から祈ってくれる「だれか」がいれば、被害者自身も幸せになりたいと願いつづける勇気、なれるかもしれないという希望を取り戻すことができる。
「幸せになんてなれるはずがない」と思い込んでいた人、「幸せになんてなってはいけない」と思い込んでいた人には、過去の呪縛から解き放たれるための言葉が必要になる。恐怖にすくんだ人が足を伸ばし、歩きはじめるには、未来を捕捉する言葉が必要になる。
実際の命綱やガードレールがどんなに頼りなくても、人はなにかが、もしくはだれかが、自分の安全を守ろうとしてくれていると感じるときにのみ、人として生きられる。現実のもろさや危うさの中で、未来を捕捉することは実際にはできないからこそ、希望を分かち合うことによって未来への道筋を捕捉しようとする試み。予言。約束。願い。夢。
薄い寂しさは、できたてのかさぶたのように、制がしてもがしても、微細な出血の上に、また張りついてくる。いっそのこと、制がさずにこらえてみれば、いつかポロッと落ちて、血色のよい健康な肌が顔を出すのだろうか。そこに人がただ生きてあることの価値はみえてくるだろうか。
「……相手が心に抱えている風景が、血まみれの廃墟のようなものだとすれば、そこに純白の包帯を置くことで、風景が変わって見えることもあるんじゃないだろうか……」
くりかえそう。
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや廠痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。