

ねこ
@notoneko25
- 2025年5月5日この世の喜びよ井戸川射子リストから。 いいと思う、本当に、何でもいいと思う、とあなたは答える。自信を持ってそれが本当だと言いたいがために、結婚や出産をしてきた気さえあなたはする。痛みも出す水も、それはできるだけ少ない方がいいと思う。これもどうせ、上手に伝わってはいないのだろう。でも性的であることを極力忘れられるから、もう誰も、体のことや愛についてを、私に言ってこなくなるから便利で、とあなたは答えようと思ったが、こんな工夫は別にアドバイスにもならないと思い黙ったままだ。あなたならこのまま育てば、いろいろをやり過ごすことなくしっかりと立ち、自分をきちんと提示しながら話せるだろう、頼もしい。私とは違うのだろう。そういうのは、本当にどっちでもいいと思う、とあなたは重ねて言う。
- 2025年5月5日読みたい本リストから。 「事実を言葉にするのはしんどい」 里見が言った。一語一語、自分に確認するように。記憶を反しているようにも見えた。 「言葉にしてしまったら、それを受け入れないといけなくなるんだから。早いも遅いもない。 柏木が口にしたいタイミングでいいんだよ」 「病気や事故って平等だろ。いつか、おれのことを罵った奴らが死にかけて、気持ち悪いおれの血で生きながらえればいい」 ふ、と笑う。目の端で私を見る。 「おれ、しつこいから」 まだ辛いから笑うのだと、やっと気づく。 「なにも求めていません。なにも欲しくありません。勝手に決めつけないでください。私は、ただ、全さんに触りたいんです。確かめたいんです。それだけなのに、どうしてそれが駄目なんですか」 「俺が思う神様っていうのは、かたちはなんでもいいんだよ。そもそも人が認識できるもんじゃないんだからな。水槽の中で飼われている俺が外の世界を認識できないのと同じだ」「じゃあ、全さんにもわからないじゃないですか」 笑うときつく抱きしめられた。苦しむふりをして脚をばたばたさせる。 「いいや、わかることもある。こうして俺の腕の中におまえが存在している不思議を感じるから。おまえにはわかんないだろうな。でもな、神様はいるんだよ。いや、いたんだろうな、どこにでも」 体に温度があるのと同様、きっと心にも温度はある。心の温度は体温とは違う。この世には想像もつかない温度の人がいる。相手を焼きつくすほど高温のこともあれば、誰にも触れられないほど凍てついていることもある。そして、それは関わってみないとわからない。 自分を否定した人たちに復讐するために献血を続ける里見。その整った横顔を思いだし、復讐という言葉は相応しくないように思えた。彼はきっと自分の誇りのためにやっている。悔しさや痛みを忘れないために。 「わたしの気持ちを知っていて、なんで教えてくれなかったの?無駄な時間、使わせないでよ!」 「それは……」とさっきと同じことをくり返そうとして、声が詰まった。 「……無駄なの?」 菜月の顔が遠ざかる。ぼやける。体が軋む。悲しい。悲しみと寂しさでいっぱいで張り裂けそうだ。 「無駄な、時間だったの?」 好きになっても実らなければ、駄目になってしまえば、それはもう無駄な、どこにも繋がらないことなのだろうか。 「柏木、すごくきれいになったよ。それに、なんだか堂々としてる。どういう関係だったかはわからないけど、怒るときに怒っておかないとずっとひきずるよ」 ……怒る?」 里見のビー玉みたいな茶色い目が私を覗き込んでいた。 「捨てられたんだろ。さびしくない?悔しくないの?」言葉を反鍋して、くり返す。 「さびしいし、悔しい」 「うん」 「ひどい。ずるい。つらいよ、つらい」 呑み込んでいた感情が言葉のかたちで口からこぼれていく。薄墨をひくように辺りが暗くなっていく中で、里見の姿だけがぼんやりと白く光って見えた。 ふいにわかった。 私は変わったんじゃない。 変えられたのだと思いたいのだ。傷つけられたのだと。今はもう傷しか残っていないから、何度も何度も自分でかさぶたをはがし、痛みと見えない血が流れるのを感じて、あのひとのつけた傷を確認していたいのだ。 「どんな人の関係も同じです。どんなに深く愛し合っていても、お互い自分の物語の中にいる。 それが完全に重なることはきっとないんです。だから、僕はあなたの話を聞きたかった」 ---------- 人と本には出会いのタイミングがあると思うけれど、今の私が、この本に出会えて良かった、と思った。
- 2025年4月30日アスク・ミー・ホワイ古市憲寿古市さんをオススメしていた友人がいたので。 「悪い予感ばかりが当たるのは、そもそも未来に期待してないからだよ。本当に小さくてもいいから、いいことばかりを思い浮かべてみなよ」 「カミングアウトって言葉、同性愛の告白って意味で使われることが多いじゃん。でも、なんでその告白だけ特別視されないといけないんだろうね。人間関係なんて秘密が溢れてるわけでしょ。秘密までいかなくても、あえて相手に伝えていないということもたくさんある。たとえば親友だったら、住所とか学歴とか食の好みくらいは知っていてもおかしくないよ。でもさ、年収とか、親の生い立ちとか、好きな体位とか、あえて話さないことも多いでしょ。なのにセクシュアリティだけは、告白したほうが素晴らしいこととされる。よく有名人がカミングアウトして称賛されてるよね。もちろん、本人が好きでそうする分にはいいよ。でも、年収や好きな体位を公表したところで絶対に同じような扱いを受けない。あのときの俺はさ、とにかくカミングアウトしないのが、悪いことだって勘違いしてたんだ」 ついうっかり「絶対に大丈夫です」とか「約束します」とか、安っぽい言葉が口から出そうになる。 だけど、こんなときだからこそ、嘘をつかずに正直に応えようと思った。 「わかんないです。人間は誰でも変わるから」 港くんは、すぐ近くで真っ直ぐに僕を見つめている。 「でも僕は少なくとも今は、港くんの隣にいたいです。仮に港くんが誰かを殺してしまっても、港くんのことを大切な人だと思っています。そのとき、僕にできることは何でもしたいです。それじゃダメですか」 「(前略)事実は変わらなくても、解釈でいくらでも事実を上塗りしていくことはできるはずだからさ。過去はね、変えられるはずなんだよ。もしかしたら、未来よりもずっと簡単に」 「結局、僕たちってどういう関係なんだろう」 「セックスに失敗しても気まずくならない関係だろ」 そう言ってくれる優しさが嬉しくなる。 (中略) 「俺のことを好きなんでしょ」 「はい、好きです」 「それで十分だよ」
- 2025年4月28日あなたの中の異常心理岡田尊司図書館で読んだ。 自分自身の経験からユングは、心の病というものがどうして起き、どうすれば克服できるのかを学んだのである。その回復は、他人のために生きることによってではなく、このままでいいのかと自分自身の心に問いかけ、自分自身の意志で、自分自身のために生きようと決意したとき、もたらされたのである。 つまり、自己肯定感に溢れた、極めて安定した人格の持ち主を育てようとするのならば、何かがみごとにできたときに爽めるというよりも、うまくできなかったときによい点を見つけて、そこを評価するという態度が重要だということになる。 完璧な自分が最善なのではない。完璧な存在を求めることは、将来の破綻を用意することになりかねないのである。完璧なものよりも、不完全な存在こそが安定したものであり、それを受け入れ、さらけ出せることが、人から受け入れられ、愛されることにもつながるのだ。 うまくいかないことや、思い通りにならないことがあっても、それはそれで人生の醍味だと受け止める。うまくいかないことにも何か意味があるはずだと、そこから何か宝物を見つけ出す心がけが、その人を幸福にしていくことだろう。苦労や失敗もまた楽しめばよいのである。
- 2025年4月16日愛するということエーリッヒ・フロム,鈴木晶図書館で借りた。 p50 したがって尊重には、人を利用するという意味はまったくない。私は、愛する人が、私のためにではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で成長していってほしいと願う。誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を、私の自由になるようなものにするわけではない。 p91 誰かを愛するというのは、たんなる敷しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。 もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる。感情は突然生まれ、また増えていく。もし自分の行為が決意と決断にもとづいていなかったら、私の選は永遠だ、などとどうして言い切れるだろうか。 p94 隣人をひとりの人間として愛することが美徳だとしたら、自分を愛することだって美徳だろう。少なくとも悪ではないだろう。自分だってひとりの人間なのだから。そのなかに自分を含まないような人間の概念はない。自分を排除するような理論は本質的に矛盾している。 p176 精神を病んだ人はおしなべて、客観的にものを見る能力が極端に欠如している。正気を失った人間にとって、存在する唯一の現実は、自分のなかにある、欲望と恐怖がつくりあげた現実である。
- 2025年3月30日アイスネルワイゼン三木三奈図書館で読んだ。 「(前略)あたしクリスマス嫌いなの。ずっと嫌いだった。むかしから。なんでかわかる?お母さんの誕生日だから。お母さんにプレゼントあげなきゃいけないから。プレゼントあげないと、不機嫌になるでしょ。いっつもそう。なんであたしがプレゼントあげなきゃいけないの。なんで、お母さんなんかに! あたしの欲しいものなんか、何ひとつ買ってくれなかったくせに!」
- 2025年3月30日うたかたモザイク一穂ミチ図書館で読んだ。 020 人魚 「人魚でも魚人でもいい。心変わりするかもしれないのはお互いさまだろ?そういう不安にも、不安が現実になった時の修羅場にも、一緒に向き合っていきたい」 124 Still love me? (前略)温はいつか(これもいつだか忘れた)「一史は人を寂しくさせる天才」と言った。一史は「誰も誰かを寂しくさせたりできない」と答えた。「自分で寂しくなってるだけだから、自己責任」。 166 BL 「またか。胸が痛むって表現が好きだな」 「恋をして胸が痛むのは本能だからね」 226 神さまはそない優しない 神さまはそない優しない。せやから、その足らん優しさを、人間同士で補っていかなあかんかったのに、俺にはそれができへんかった。 249 透子 「そんなことはない。物語の中に色んな苦しみや喜びがあった。今まで味わったことのないたくさんの感情に出会えて、自分とは違うのに、おんなじだと思えた。みんな等しく、それぞれの何かを背負う。重さや月日は問題じゃない。だからもう、苦しみから逃れようとして苦しむのをやめた」
- 2025年3月13日スカイ・クロラ森博嗣友人から借りた。 淡々と生きている僕たちには、それがよくわかる。 僕はまだ子供で、ときどき、右手が人を殺す。 その代わり、 誰かの右手が、僕を殺してくれるだろう。 それまでの間、 なんとか退屈しないように、僕は生き続けるんだ。 どちらにしても、 自分の責任だと考えることが、一番楽なのだ。 全部、自分の責任なら、閉じていれば良い。完結できる。人の責任だと思うから、処理が難しくなる。 「ずっとこのままだ」 けれど... 少なくとも、昨日と今日は違う。 今日と明日も、きっと違うだろう。 いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。 いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。 それだけでは、いけないのか? それだけでは、不満か? それとも、 それだけのことだから、いけないのか。 それだけのこと。 それだけのことなのに・・・・・・。 理解ほど、貴重で入手が困難なものはない。それが得られるのは、きまって、その必要がすっかりなくなったときなのだ。
- 2025年3月8日あなたは、誰かの大切な人原田マハ誕生日に友人から貰った。 -月夜のアボカド- そうだ、君だよ。とアンディは、まっすぐにエスターをみつめて言った。 君と一緒になるために、僕はここへやってきて、このバーの、この席に座ったんだ。 僕に与えられた人生の使命は、たったひとつ。それは、君を幸せにすることだ。 -皿の上の孤独- 「孤独な一生だったんですね」 なんとなくさびしくなってつぶやくと、 「さあ、そうとも限らないわ」 やんわりと否定が返ってきた。 人は、孤独になれる空間を必要としている。 (略) この家の空間は、どこを切り取っても、やわらかく包み込むような孤独の匂いがしていた。
- 2025年3月3日やがて君になる 佐伯沙弥香について(3)仲谷鳰,入間人間辻堂の海岸沿い、星乃珈琲で読んだ。 「はっきりしないものって消えていく気がしてね。だから気持ちだって、はっきり、目に見えるんじゃないかってくらいに形を示したいだけ。とても難しいことだとは思うけど」 「わたしの目の前に見えてる先輩が全部だよ。他に説明はできない」 (略) 「その人の裏側とか、本当はなに考えてるとかそういうのはもういいんだ。もういいってほど理解してないし、できないけどさ.....大事なのは沙弥香先輩が笑うとか、沙弥香先輩が喜ぶとか……そういうことなんだよ、わたしにとって。ごめん、言葉が上手く見つかんない。でも思ってることってちゃんと表面に出てくるものだと思う。だからわたしは、今見えてる沙弥香先輩のすべてが好きで、それしか分からない」
- 2025年1月28日凍りのくじら辻村深月「なにも望まないということは、信じられないくらいに深く暗いよ」 「この光の効力が続くうちに、自分の力でどうにかするんだ。大丈夫、君なら必ずそれができる」 望むことで傷つけられてきたから、傷つかないために、なにも望まない。それは強くないと出来ない生き方だ。孤独そのものだとも思う。 物語の最後で、彼女は照らしてくれた光が自分の内側にあったこと、それを信じること、他人を信じ愛する生き方を選ぶ。 私は、主人公がそれを選択するまでの過程全てに意味があったと思った。この子の人生には意味があった。痛みを許し、痛みに許されるまで、時間と対話が必要だった。最悪な出来事も、人を見下した考えも、孤独も痛みも苦しみも、全部が最後光に照らされて意味のあるものに変わっていった。
- 2024年12月28日恋とか愛とかやさしさなら一穂ミチ帰省するための行きの電車で呼んだ。 「どうしてだろう。恋とか愛とかやさしさなら、打算や疑いを含んでいて当然で、無垢に捧げすぎれば、時に愚かだ幼稚だと批判される。なのに「信じる」という行為はひたすらに純度を求められる。」 「啓久が罪を忘れても、罪が啓久を忘れない。」
- 2024年11月14日
読み込み中...