

ねこ
@notoneko25
- 2026年4月19日
- 2026年4月18日
エミリー嶽本野ばらカフェで店員さんにおすすめされた。 多分、私には貴方の考えていることが理解出来ません。人生観や価値観を語り合えば合う程、貴方と私はお互いの間に深い溝を確認するだけでしょう。きっと方と私では、生きる流儀が違うのです。でも、不思議ですね。何故なのでしょう。私は貴方が好きなのです。 笑われようが、馬鹿にされようが、貴方にのめり込むことを恐れずに突き進んでみます。大切なのは解り合うことではなく、求め合うことの筈ですから。 - 2026年4月16日
AI・データ倫理の教科書福岡真之介図書館で。 普遍的なAI倫理原則として、①人間の尊重、②多様性・包摂性の確保、③サスティナビリティ、④人間の判断の関与・制御可能性、⑤安全性・セキュリティ、⑥プライバシーの尊重、⑦公平性、⑧アカウンタビリティ、④透明性を挙げることができます。 - 2026年4月15日
AIは人間を憎まないトム・チヴァース,樋口武志図書館で。 知能とは問題解決の能力「使用可能な情報を、確率的に最適な形で」使用すること(常識)とは違う 人間のような動機づけ構造を持ったエージェントは、最終的な価値を自らの生存に置くことが多い AIの効用関数:そのAIの価値を要約したものであり、いかなる変更もそのAIにとっては致命的なものである 自分にとって神聖な物事というものがあり、それを大切にするのをやめたくないのだ。 そのAIは自身の大切にしているものを最大限効率的に実現させようとする過程で、人間が大切にしているもの全てを破壊してしまう可能性がある - 2026年3月23日
- 2026年3月23日
青い城モンゴメリ,谷口由美子リストから。 ヴァランシーは、死を恨んでいた。生きてきたという実感もないのに、もう死ななくてはならないとは、いかにも不公平だ。暗闇の時間がすぎていくにつれ、彼女の心の中には反抗の炎が燃えあがってきた。それは、彼女に未来がないからではなく、過去がなかったからだ。 深い悲しみさえ感じたことはない。あたしは、心からだれかを愛したことがあるかしら?おかあさんを本当に愛しているかしら?いいえ、愛してはいない。それが恥ずべきことであっても、それは真実だわ、あたしはおかあさんを愛してはいないー愛したことなどなかった。もっとひどいことには、好きでもない。つまり、あたしは、愛というものを全然知らないということなのよ。 「これまで、あたしはずっと、他人を喜ばせようとしてきて失敗したわ。でもこれからは、自分を喜ばせることにしよう。もう二度と、見せかけのふりはしまい。あたしは、うそや、見せかけや、ごまかしばかりを吸って生きてきたのよ。本当のことを言えるってのは、なんてぜいたくなことなんでしょう!今までやりたいと思っていたことを全部やるのは無理かもしれないけれど、やりたくないことは、もう一切しないわ。おかあさんがふくれるなら、好きなだけふくれていればいいわーもう、気にするもんですか。『絶望は解放、希望は束縛』よ」 「この地上には自由なんてものはないさ。ただ、さまざまの束縛があるだけさ。束縛を比較しているのさ。きみは、これまでのひどく耐えられないそくばからのがれて今は自由だと思っている。だが、本当に自由なのか?君はぼくを愛している!それも束縛なんだ」 - 2026年2月17日
- 2026年1月28日
僕たちは言葉について何も知らない小野純一目に付いた。 人は生まれながらに知ることを欲する。これは古代ギリシアの哲学者アリストテレスが、哲学の主著「形而上学』という本の冒頭で述べた言葉です。この言葉は、人間を人間らしくする要因が、知りたいという欲求にあることを示しています。これが人間の本質であるならば、「論理」に先立って知を欲する「感情」が働くということでしょう。アリストテレスは、私たちの「知る」という客観的な働きの根底に「欲する/望む/求める」という欲動を見ぬいた、とも理解できます。 「知的である」「知性を発揮する」といった状態を下から支える根底に、望んだり欲求したりする感情が潜んでいることになります。心という主観や心理が、知性という客観や論理のおおもとを形作る、と仮定できそうです。 アリストテレスの言う「知りたい」という欲求は、へこどもらしい「好き」という気持ち、つまり好奇心と重なりあう感情だといえると思います。 知りたいと強く思うときの「希求」が、物欲のような欲求であっても、自分を良く見せたいという欲求であっても、他者の尊重という愛のありかたであっても、それが心の動きであるという点で違いはありません。 それは、どうにか伝えようとしながら話す姿が、誠実さそのものだからです。つまり意図が伝わるときが、こころが伝わる瞬間なのです。その語りは、聞き手に対して誠実であろうとする結果だし、また話す事柄に対しても忠実であろうとする努力の表れです。 自分の責任ではないという筋書きは、他人に責任を押しつけるだけではありません。これは、自分だけを例外化するようなものです。常に正しいのは自分だ、という思い上がりを背景にするでしょうし、自分が得をすること(損をしないこと)を行動指針にしているでしょう。だれでも得をすることは悪ではありませんが、自分だけを特権化するなら、それは非倫理的です。なぜなら、その瞬間に、自分以外の他の人たちを否定することになるからです。 うまくいくコミュニケーションや会話とは、表現や話しかたが上手か下手かではなく、ちゃんと相手の心に概念が成立することです。概念は、一つの物語のようなものです。たったひと言でも、やはりそこには物語が含まれます。 その経験の積み重ねが個人を形成します。その個人を尊重することは、その個人を育む文化を尊重することになるのです。 文化を尊重することは、個人を尊重することだれもが、自分が尊重される世界を生きたいと願うでしょう。ということは、数々の私が尊重される世界は、その人の生きる文化が尊重される世界であり、だれもが尊重されて生きることのできる世界を、私たちは「平和」と呼ぶはずです。 感情に名前をつける私たちはストレスを言葉によって発散することができるのを知っています。イライラするときに叫ぶとスッキリすることは日常的に知られているでしょう。 言葉を口にすることで(とくに悪態をつくことで)、痛みが緩和されることが実験で確かめられています。あるいは、原因不明の体調不良に悩まされていて、病院に行ってみたら、それはストレスですよ、と言われることで、逆に安心し、そのストレスと向きあう気持ちにもなる場合があります。 これはストレスです、これはうつです、と言われることは、つまり言語化することは、何が何だかわからない状態から、それが何かわかる状態にしてくれ、ある種の安心を与えます。 誰もが他の誰とも違う人生を歩み、比べようのない経験をしています。それを他の人と比べられるものに落とし込む言語化も可能です。でも、誰かとの比較ではなく、いわば自分との比較として、自分自身と向きあうことは、他人に依頼できません。自分への気づかいによって、自分の心の声を聞き、それを言葉にすることは、他でもない自分にしかできないことです。 - 2026年1月15日
春のこわいもの川上未映子リストから。 しあわせなことを想像しているとき、胸のなかはあんなふうに膨らむんだろうなというような雲をみたこと。影に影をかさねても、何も残らなかったこと。わたしはきみのことが大好きです。きみに会えたことは、わたしの人生に起きた、本当に素晴らしいできごとでした。わたしを見つけてくれてありがとう。わたしを好きになってくれてありがとう。ねえ、戻れない場所がいっせいに咲くときが、世界にはあるね。ずっと、ずっと元気でいてください。お元気で。 「きっと……何かが起きたときに、誰かにちゃんと見つけてもらえる人と、誰にも見つけてもらえない人がいるんだと思う。それは、その人がどんな場所にいるかってこととは、関係がないことなんじゃないかと思う」「でも、もし動けるなら、誰かに助けを求めることはできるよね」彼女はそれには答えなかった。 - 2026年1月7日
デッドエンドの思い出よしもとばななたまたま目に付いた。 「ううん、僕、中にいる人の、そのまた中にある明るさが、外に映っているから明るくてあったかく感じるんじゃないかと思うんだ。だって、電気がついていても淋しいことって、たくさんあるもの」「人が明るいの?」 「人の気配が、照らしてるんだよ。きっと。だからうらやましく思ったり、帰りたいと思うんじゃないかなあ。」 「今回のことで自分を情けなく思ったり嫌いになりそうなことはあっても、これまでの人生を否定する気はないもん。」 「俺にはわかるんだ。ああいう人って、ものの見方がすごくパターン化しているんだよ。あのね、ずっと家の中にいたり、同じ場所にいるからって、同じような生活をしていて、一見落ち着いて見えるからって、心まで狭く閉じ込められていたり静かで単純だと思うのは、すっごく貧しい考え方なんだよ。でも、たいていみんなそういうふうに考えるんだよ。心の中は、どこまででも広がっていけるってことがあるのに。人の心の中にどれだけの宝が眠っているか、想像しようとすらしない人たちって、たくさんいるんだ。」 きっとそれは私の心の中の宝箱のようなものにおさめられ、どういう設定で見たのか、どんな気持ちだったのかすっかり忘れ去られても、私が死ぬときに幸福の象徴としてきっときらきらと私を迎えに来る輝かしい光景のひとつになるだろう、と思った。 - 2025年11月23日
星を掬う町田そのこ人から聞いた。 「そんな風に簡単に切り換えられない。ねえ、心を斬りつけられたことある?からだの傷と全然違うの!痛みが、発作みたいに、タイミングも計ってくれずに何度も何度も襲ってくるの。いつ治るのか分かんない。一生治らないかもしれない。ただ、痛むたび絶望して死にそうになるの。そんなことも分かんないくせに、痛みを無駄とか言わないで!」 怒りで、戻が滲む。わたしは好きで、ここでただ外を眺めているわけじゃない。ぼんやり過ごすことを良しとしているわけじゃない。わたしなりの、あがきがある。 誰かを理解できると考えるのは傲慢で、寄り添うことはときに乱暴となる。大事なのは、相手と自分の両方を守ること。相手を傷つける歩み寄りは迷惑でしかないし、自分を傷つけないと近づけない相手からは、離れること。母は恵真さんに、そう話したのだという。 「棘を逆立てたハリネズミを抱いても傷つくだけだし、ハリネズミも刺したくないものを刺して苦しむものだからって。だからママは自分がハリネズミになる前に離れようとしてるんだろうな」 「そして、わたしの不幸も、あのひとのせいなんかじゃない」 わたしの不幸は、母に捨てられたことではない。他でもない、わたしのせいだ。 - 2025年11月21日
朝が来るまでそばにいる彩瀬まるリストから。 「あなたの名前を呼べば、私は昨日のことや今日のこと、大事にされたことを思い出せる。どれだけ遠くても、暗くても、受け止めきれない乱暴に晒されて、多くの物事に裏切られた気分になっていても、悲しいだけじゃなくなるから。呼んで、唱えて、会えて嬉しかったなあって繰り返しながら、私という存在の認識が終わるまで、暗闇の底で光って遊ぶ。それを、この世のどんなものにも侵させない」 「でもね、生き続けていたら、いつか、あなたが許せないあなたのなかの怪物を、許してくれる人に会えるから。あなたが誰かの怪物を、許してあげられる日がくるから。……だから、きっとまた生まれていらっしゃい」 - 2025年11月16日
マリエ千早茜リストから。 「すぐ疑似家族を作ろうとするのよね」 「疑似家族、ですか」 「あたしのことも、母親だったら良かったのにとか言ってたわよね」 「それは・・・・・」 「家族の役割にあてはめるほうが繋がりを実感できる?安心したい?」「まさか」と思わず声が大きくなる。「うちの家族なんてかたちだけで、安心できるような繋がりなんてありませんでしたよ」 「だからじゃないの」 マキさんはいたって冷静だった。いつも通りのハスキーな声で、ワインを口に運びなが ら喋る。 「あんたはどっかで家族の幻想を捨てきれないのかもしれないわね。それか、あんがい家族という概念に縛られているのか」「そんなことない、です」 言い返しつつも、目を逸らしてしまった。予想外のことを言われてうまく頭が働かない。 「知っている関係におきかえなくてもいいのよ。どんな人との関係も初めてのものなんだから。かたちなんてないの」 「私は誰かといて不幸になりたくなかったし、一緒にいる人に不幸だと思われたくなかったんです」 「誰といても、決めてはいけないのだと思います」 「なにを」 「その人の幸も不幸も。それぞれで努力するしかない」 「結婚していても」 「はい。だから、別れた旦那さまを桐原さんが不幸にしたわけではないです。それも彼の問題で、桐原さんには関係のないことです」 - 2025年9月23日
スモールワールズ一穂ミチ帰りの新幹線で。 わたしはあなたに怒っていい立場ではありますが、濁ったというか、まっすぐでない怒りをぶつけるのは、それこそ、あなたをサンドバッグにしているのと同じで卑怯だから反省しなくてはいけない。……という気持ちを、こうして認められるようになるまで、時間が必要でした。 「時間かけんのだるいって思ったらやめればいいし、今の自分を続けたいんならやればいい。ただ、生徒に笑われたからっていうのはNGな。あいつらがあんなこと言ったせいだってなっちゃうだろ。理由とか原因を他人に紐づけてると人生がどんどん不自由になる」 「神よ、わたしにお与えください。変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものを変えていく勇気を、そのふたつを見分ける賢さを。きょう一日を生き、一瞬を楽しみ、苦しみも平和につながる道だと受け入れますように……だって」 繰り返し裏切られると、裏切られた痛みと、わずかでも期待してしまった自分への怒りで二重に傷つく。そして痛みの波紋が消えないうちに次の輪が生まれ、終わらない輪唱のように傷は疼き続ける。しかも相手が肉親なら、断ち切るのは難しい。 きょうという一日の終わり、平安の祈り。変えられるものと変えられないもの。変えられたかもしれない過去、変えられなかったかもしれない未来を思い、後輩は飽きもせず胸を痛めるだろう。どこで降りるにせよ、今度のボタンは自分が押す。 - 2025年9月7日
ふだんづかいの倫理学平尾昌宏読んだ。友人と出かけた時に一目惚れ 「自我」が出来てくると言っても、それは「自分」の素みたいなものです。それだけでも、何とか生きることはできるかもしれない。これが自立というヤツです。しかし、それでは足りません。何が?そう、それではまだ「単に生きる」だけで、「よく生きる」ことができているとは限らないからです。 「社会の中でよく生きる」や「身近な関係の中でよく生きる」は、自分だけでは決まりません。 他の人との関係の中で決まってくるものです。でも、「自分がよく生きる」は、自分一人だけのものです。そして、それはあらかじめ決められているものではありません。とすると、どうするのか。それは、自分で決めるしかありません。これが自律と呼ばれるもので、積極的自由の中身です。 それに対して、積極的自由というのは、「自分への自由」でした。「自分」は、他の人によって決められるものではありません。それを決めるのは自分自身でしかありません。だから自由なのだし、積極的で前向き、中身に関わるものなのです。 今さらですが、「正しさ」というのは、基準から外れると間違っていて正しくない、ということです。当然、最低限そうした規則や法則に従うべきである、従わなければならない(つまり、義務だ)、ということになります。だから、我々の言う守りの倫理は一般的に義務論と呼ばれます。 一方、攻めの倫理と呼んだのは、もっと積極的に攻めに出ます。もちろん「善」、「善さ」を目指して。目指すものとは、つまり目的。だから、こっちは目的論と呼ばれる。 我々は「正しさ」では幸せにはなれないけれども、「幸せ」であればそれで十分です。でも、幸せを得るためには、やっぱり最低限の条件が必要です。 - 2025年9月3日
傷を愛せるか 増補新版宮地尚子買った。リストから。 「他者を愛する」とは、自分とはちがう存在、自分には理解できないもの、自分では受け入れられないものをもっている存在を、まさに自分には理解できないし、受け入れられないからこそ、尊重するということである。けれどもそれは「他者から愛されない」ことを受け入れることであり、相手の選択が死であるときは、他者との「他者としてのつながり」さえも断ち切られることになる。 それらの喪失を認め、受け入れることは、新たな生活に向かうために必要だが、けっしてたやすくはない。けれども、幸せを心から祈ってくれる「だれか」がいれば、被害者自身も幸せになりたいと願いつづける勇気、なれるかもしれないという希望を取り戻すことができる。 「幸せになんてなれるはずがない」と思い込んでいた人、「幸せになんてなってはいけない」と思い込んでいた人には、過去の呪縛から解き放たれるための言葉が必要になる。恐怖にすくんだ人が足を伸ばし、歩きはじめるには、未来を捕捉する言葉が必要になる。 実際の命綱やガードレールがどんなに頼りなくても、人はなにかが、もしくはだれかが、自分の安全を守ろうとしてくれていると感じるときにのみ、人として生きられる。現実のもろさや危うさの中で、未来を捕捉することは実際にはできないからこそ、希望を分かち合うことによって未来への道筋を捕捉しようとする試み。予言。約束。願い。夢。 薄い寂しさは、できたてのかさぶたのように、制がしてもがしても、微細な出血の上に、また張りついてくる。いっそのこと、制がさずにこらえてみれば、いつかポロッと落ちて、血色のよい健康な肌が顔を出すのだろうか。そこに人がただ生きてあることの価値はみえてくるだろうか。 「……相手が心に抱えている風景が、血まみれの廃墟のようなものだとすれば、そこに純白の包帯を置くことで、風景が変わって見えることもあるんじゃないだろうか……」 くりかえそう。 傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや廠痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。 - 2025年9月2日
ここはすべての夜明けまえ間宮改衣おすすめされて。 シンちゃんからはじめて告白されたとき、わたしはきちんと伝えるべきでした、大人になったら付き合ってください、ってシンちゃんは言ったけれど、シンちゃんが大人になることはないんだよわたしの中で、どうか恋は他のひととして、できるよ君はいつか、必ず他のひとを愛することができるからって、 虐待をしたり、子どもから愛情を搾取する人間に育てられた人間は、いつか誰かを虐待し、愛情を搾取する人間になる、それは感染症みたいに、呪いにかかるみたいにどんどん伝染してしまうんじゃないかって このよでわたしだけは、わたしがやったことを、きちんとみつめなければいけないとおもうんです。もしもきおくをけして、なにもかもわすれてしあわせになろうとしたなら、わたしはいよいよ、じぶんをきらいになるでしょう、わたしはこれいじょう、じぶんをきらいになりたくないんです。 - 2025年7月22日
キッチン吉本ばなな買った。 「ストップ!」と私は言った。彼女はびくっとしてだまった。私は言った。 「お気持ちはわかりますけれどね、でも人はみんな、自分の気持ちの面倒は自分でみて生きているものです。……あなたの言ってることの中に、たったひとつ、私の気持ちだけが入ってなかった。私が、なにも考えていないことが、どうして初対面のあなたにわかるの?」 たとえば、今は昨日よりも少し楽に息ができる。また息もできない孤独な夜が来るに違いないことは確かに私をうんざりさせる。このくりかえしが人生だと思うとぞっとしてしまう。それでも、突然息が楽になる瞬間が確実にあるということのすごさが私をときめかせる。度々、ときめかせる。 幸せになりたい。長い間、川底をさらい続ける苦労よりも、手にしたひと握りの砂金に心うばわれる。そして、私の愛する人たちがすべて今より幸せになるといいと思う。 - 2025年7月20日
太陽と毒ぐも角田光代図書館で借りた。リスト消費。 本当につまらないことで私たちは愛する人と諍いを起こし、馬鹿馬鹿しい性癖や習慣が、決定的な無裂を生むこともある。だれかを強く愛することと、冷蔵庫を空っぽにするそのだれかに苛立つことは、決して矛盾しない。遥か上空で太陽が光り輝いていても、ときとして濁った色の悪い雲に遮られ私たちに届かないのと同じように。 - 2025年6月8日
図書館で読んだ。 「もちろん、人に迷惑をかけない大人になることは大事なんだけど、最近、子育ての正解ってそこにないんじゃないかって思うこともあって」 「じゃ、どんなことが正解なの?」 「成長した子どもが、大人になってから親の子育てを肯定できるかどうか」 スミちゃんが言って、私を見た。 「人生は長いからさ。大人になってから子どもに自分がやってきたことを肯定してもらえないと、いざ対等な状態になった子どもに見捨てられることになるよ。感謝されないし、仲良くしてもらえない。保護者と被保護者はいずれ、介護だなんだで逆転するんだしさ」 以下解説より 自分を傷つけたことを、母親は絶対にわかってくれない。だから、スミちゃんは「なんでわかってくれないの?」とは言えない。それはわかってくれる可能性がない人に対しては発することができない言葉なのだ。 幽霊が生まれるのはここだ。相手が変化することを期待できないならば、自分を変化させるしかない。やり方はシンプルだ。傷ついている自分を消してしまえばいい。 「こういう人なのだ」「どうしようもないのだ」と思って、心を殺す。すると、心は非業の死を遂げる。 スミちゃんの心に起こったのはこれだし、あなたの人生にもそういうことがあったかもしれない。 カウンセリングルームでは、そういう幽霊たちの物語が話し合われる。(省略)それはなかったことにされてきた傷つきに、光を当て、居場所を作る作業だ。これが心の中を徘徊していた幽霊への弔いになる。かつてこんな噛みあわなかった会話があった。そう語り、理解を得ることで、心は傷つきを修復していく。 しかし、実を言えば、それだけでは済まないことも多い。密室で幽霊について話し合っていると、かつての痛みが蘇り、かつて言えなかった言葉が声になろうとする。 凍結されていた過去が解凍され、幽霊が息を吹き返す。 そう、密室に幽霊が出る。密室では時空がゆがむ。そこには他に誰もいないから、容易に過去と現在が、記憶と現実が入り混じる。
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