
図書館マン
@tosyokan-man
2025年9月5日

死ぬまで生きる日記
土門蘭
読み終わった
図書館本
「死にたい」という気持ちと真摯に対峙した土門蘭さんの著書。土門さんの本を読むのはこれが初めてです。
幼い頃から約20年間抱えていた気持ちを、カウンセリングで打ち明けた土門さん。
カウンセラーの本田さんとの対話を繰り返しながら、試行錯誤し、「死にたい」気持ちと上手く付き合う方法を探し、実行します。
「死にたい」という気持ちは普遍的で、かつ個人的なものだと、私は考えています。
だからこそ、「死にたい」気持ちは、簡単に一般化して飲み込むことが出来ません。
「死にたいだなんて思うの、皆おなじだよ」と言われて納得することは出来ないし、かといって「みんな普通に生きてたら、死にたいだなんて思わないよ」と言われた所で、自分だけが変なのだと割り切ることもできない。
普遍的でありつつも、超個人的な気持ち。
だからこそ、死にたい気持ちは馬鹿にされやすいのかもしれません。
他人から馬鹿にされることもあるけど、なにより自分自身が、自分の死にたい気持ちを、一番馬鹿にしてしまう。
少なくとも、私は「死にたい」と頻繁に言う癖に、自分の「死にたい」気持ちを軽んじて馬鹿にして、「こんなこと考えるだなんて、馬鹿なんだな、駄目な奴なんだな」と責めることがありました。死にたい気持ちなんて気の迷いだと、なかったことにして、今も向き合わずにいます。
でも、土門さんはカウンセリングを通じて、自分の死にたい気持ちを自分に解き明かしていきます。この本を読んでいて凄いと感じたのは、そういう土門さんの素直さです。
死にたい気持ちがあることを認めて、他人に打ち明け、アドバイスを律儀に実行する。
死にたい気持ちをなかったことにしがちな私だったら、まず「死にたい」気持ちだけで、カウンセリングには行けません。他人のアドバイスにすら疑惑をもって、「本当かなぁ」と思うだけで実行すらしないと思います。
だからこそ、土門さんが自分の気持ちと対峙して、試行錯誤していく過程に尊敬するし。同時に、土門さんと自分を比較して、自分が情けなくなりました。
自分の気持ちに向き合おうとすることは、別に恥ずかしいことじゃないのかもしれない。
この本を読んで、少しだけでも自分の気持ちと向き合ってみようかと思いました。


