
いっちー
@icchii317
2025年9月6日

なぜ人は自分を責めてしまうのか
信田さよ子
読み終わった
読了
第5章
一定の規範を自分に取り込むのできるが躾。規範は一貫してないといけない。ただ、例外を認める必要もある。
規範を内面化することが、軽い罪悪感になる(勉強の計画を立てたのに、できなかったとか)
虐待家庭は規範が一貫していない。そして文脈化できない(一貫性がない)。そして感情をなかなか抱くことができない
→「すべて自分が悪い」という言葉に合理性が宿る
・家族の中に正義を持ち込んではいけない
・信田さんは、机上の言葉ではなく、当事者の言葉につねに向き合ってきた方なんだなと思った。
・「自己肯定感」という言葉のように、言葉に内包されている問いによって、出口を自ら閉ざしていることがある。これはまだまだ浸透されていない、みんな自己肯定感という言葉の中で苦しんでいる。某Podcastのオールナイト配信のリスナーの質問にも「自己肯定感」という言葉は何度出てきたか知れない。
病んでた高校生の頃、「なぜ自分がこの世からいなくなればいいのか」というのを当時持ってたケータイのメモに書き込んでは少し心が落ち着いていたのを思い出す。いない方が良いという究極の論理が前提にあって、その中でしか問いを立てられなかった。わからん、そこまでの共依存でもなかったかもしれないし厨二病なのかもしれんけど。今はいろんな人に恵まれて精神的にも身体的?生活も休みたい時に休める環境になってだいぶ回復して、ほんとに最近死にたいって思うこともない。ここに至るまで10年くらいかかってるけど、無事に回復できて本当に良かった。生きててこの先の不安とかも全然あるけど、生きてて良かった、楽しいとは思えている。「自己肯定感が低い」とまさに思ってたけど最近はどうでも良くなってた(笑)高いとも思わんけど低いとも思わん、てかどうでもいい、みたいな(笑)その問いの構造からようやく抜け出せたのかもしれない。
・当事者研究しかり、すでにある水路と別の水路を見つけるために、似た経験をした他者の存在がいかに重要なのか……