チャモピーピーチャマ "反知性主義" 2025年9月6日

反知性主義
反知性主義
森本あんり
以前読書会のために読んで、半年を経て再読してみた 日本で反知性主義の本を書こうとするとたぶん陰謀論や権威主義に傾倒する人をめった刺しにする内容になると思う(内田樹編の『日本の反知性主義』まだあんまちゃんと読んでないですよ)けど、むしろアメリカをアメリカたらしめている考え方として筆者からポジティブな眼差しが注がれている。 アメリカに移住したピューリタン牧師は高学歴で日曜礼拝のお言葉も長くて難解で、ろくな教育を受けていない労働者階級からしたらつまらない……という状況に対し、学歴不問でエンタメ性に富む宣教師が各地を回ってセンセーションを起こしていく。巡回布教がやがて巡回ビジネスの原型となり、アメリカ国民の政治家の好みも高学歴エリートよりむしろ話が上手く非教育層にも親しみやすい人が選ばれやすくなり、といったふうなアメリカ文化の素地を築いていく。みたいな話だった(と思う) 知性と権威が結びついている状況を糾弾し自分で理解できるものに従うという反知性主義は、ともすれば陰謀論やポピュリズムにずれこむこともあるだろう、むしろそれが自然な流れだとも思える。しかし177ページでは「自分の知性を磨き、論理や構造を導く力を高め、そして何よりも精神の胆力を鍛えねばならない」とある。著者としては反知性主義は自力で知性の秩序を構築する気概だと捉えているが、いわゆる反知性主義者全員がこれを実践できているわけでもないと思う(森本氏は者を買い被りすぎだとちょっと思う、、) しかし自分で良いものを理解し、自己の精神との対話で価値を高めていく営みは尊いとも思うから、本流の反知性主義が筆者の期待するようなあり方だったら良いなとも思ってる(トクヴィルの言う個人主義と関連あるかも??) 最近信仰とはどんな気持ちか直感の方でわかりかけてきたので、宗教をモチーフにした本が面白くなってるかもしれん (追記)反知性主義は反・知性主義であって反知性・主義ではないってYouTubeで森本氏が言ってた
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