さーちゃん "探していたのはどこにでもある..." 2025年9月9日

探していたのはどこにでもある小さな一つの言葉だった
冒頭、「この随想集は必ずしも、最初から読む必要はありません。むしろ、そうしない方がよいようにも感じています。」と書かれている。その言葉の通り、もくじを読んで、今日気になった「22 想像力について」から読んでみた。 p132 「想像力が真にはたらくとき、人は、ある種の現実味、真実味を実感する。」 この言葉がなぜか響いた。一回読んだだけでは意味がはっきりとは捉えられないものの、なんとなく日常で感じているような気もする。 p132 「ミヒャエル・エンデや宮沢賢治の作品を読むとき、私たちは物語空間にいるだけでなく、日常よりも深く、自分の人生とつながっていることに気が付く。空想力が想像力の開花を準備しているのである。」 「モモ」を読むと、時間どろぼうが現代のことを言っているようでドキッとする。出来上がったおもちゃでしか遊べないような人間になっていないか、自分を顧みたりもする。ここで言っているのはそんなようなことなんだろうか。 p133 「空想力は、ほとんどの場合、未来へ、あるいは非現実的な方向へ導く。しかし想像力は、必要であれば、その人の過去に立ち返ることを求める。/別ないい方もできる。想像力を経ない過去は、ひたすら後悔するほかない日々となる。だが、想像力によって過去とつながるとき、人は省察の契機と新しい意味、さらには可能性を見出す。想像力は過去を歴史に変じる。」 「想像力を経ない過去は、ひたすら後悔するほかない日々となる」というのはよく分かる。 心に引っかかったことをぐずぐずと考え続けてしまうのは、振り返りをせず、「じゃあどうすればよかったか」「どう捉えればいいのか」を考えていないとき。後悔していることを書き出すとか、人に話してみることをすると、新たな捉え方ができて救われたり、次にどうすればいいかがわかって心が軽くなったりする。それはつまり、想像力を使って別の可能性が開かれるということ。 「想像力」について、なんとなく考えていたことに言葉が与えられたような、でもまだモヤモヤとして自分の周りを漂っているような気持ち。とりあえず、私は「想像」と「空想」をごっちゃにしていたな、ということはわかった。 若松さんの言葉は何度も読み返すことで自分に入ってくる感覚があるので、今回もこのモヤモヤを抱えながらさらに考えたい。
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