

さーちゃん
@cong_mei
本を読んで感じたことを、そのままにしないで、言葉に残していきたいです。
- 2025年10月8日
- 2025年10月4日やさしいがつづかない稲垣諭読んでる表紙がかわいい。 時々私に対して「やさしいね」と言ってくれる人もいるけれど、なんだか違和感があった。冷たい言動を取ってしまうし、意地悪な気持ちを持っていることもある。筆者も書いている通り、やさしさというのは性格や気持ちのことだと思っていた。 でも「やさしいというのは、あなたがもつコントロールの権利を手放し、それを相手に委ねる行為である」というのが筆者の主張。 一つの例として、外で水たまりを見つけた子どもとその親が出てくる。子どもは水遊びをしたい。親は、着替えもないし車を汚すかもしれない、洗濯物も増える…と色々考える。それでも子どもの遊びたい気持ちを考えて、「いいよ、もう入っちゃいな」と許可する。このとき、親は子どものコントロール権を手放している。さらに言えば、靴や洋服を洗ったり、玄関の掃除、お風呂に入れることなど、労力や時間を子どものために使うことになる。そうした意味で自分が持っている体力や時間のコントロール権も手放し、相手に手渡すことになる。 そして、「やさしさはいつでも行動と結びついている」という。コントロール権を手放す時の実際の発言や行動で示されるのがやさしさ。だからそもそも難しいし、毎回はできないものだと。 これを読んで、私の中で確実にほっとした部分がある。そうだよね、やさしくできないときあるよね、って。 そんな気持ちになったときは、「ああ、私は今この相手に自分のコントロール権を手渡せないのだな」と考えてみると良いのだという。もしくはその逆に、「私はこの人のことをコントロールしようとしてしまっているが、本当にそれは今、必要なことなのだろうか」という問いかけも有効みたい。 ひとまず、自分の中での「やさしい」が転換された。3章には「やさしいがつづくために」という副題がついているので、先を読み進めたい。
- 2025年10月4日読み終わった人生の最終段階の医療に携わるホスピス医が書いた本。 人生の最後に「より後悔がない人生だった」「より良い人生だった」と思えるために著者が挙げている条件は4つ。 ・自分で自分を否定しないこと ・いくつになっても新しい一歩を踏み出すこと ・家族や大切なひとに、心からの愛情を示すこと ・今日一日を大切に過ごすこと 著者は、自分の無力さを思い知らされることが多かったという。確実に死に向かっていく患者さんに対して、お医者さんという立場で関わる苦しさは、私の想像よりもずっとずっと苦しいだろう。 でも「自分も生身の、弱い人間にすぎない」という当たり前の事実を認めたとき、「実は私の方が支えられている」「たとえ無力でも、患者さんのそばに存在し続けることが大切ではないか」と思ったのだという。 そこに至るまでに、どれだけ悩み苦しんだのだろうかと思う。 私も、たくさんの人に支えられている。そのことを忘れずに、4つのことを意識して日々を過ごしたい。
- 2025年10月1日
- 2025年9月28日アンと幸福坂木司読み終わったほっこり〜。幸せ〜。 アンちゃんがまた成長している! お客様に寄り添い、上司を気遣い、同僚を案じている姿は前作までと変わらないのだけれど、より細やかに、そして力強くなっている。 今作は自分の足で立っている感が際立ってる! 相変わらずアンちゃんがどのお菓子もどんなお料理も美味しそうに食べるので、こちらも幸せになってしまうんだけれど、今回は立花さんの言葉がグサリときた。 「他人を羨んでしまうのは、自分の歩む道に納得していないからだと思ったし」 こないだも人を羨んでいる自分に気がついたばっかり。これが引っかかるってことは、私も自分の歩む道に納得がいっていないんだろうか。じっくり考えてみたい。 あとがきで、作者がこんな風に書いていた。 「ただ残念なことに、世の中や人生には不幸なこともあります。できれば出会わずに過ごしたいですが、そうもいかないとき、甘いものを口に入れるように自分だけの幸福を思い出せたらいいな、と思います。」 だからこの作者が好きだ、と思う。甘いものを口にして幸せな気分に浸ろう、ではない。アンちゃんにとってはそれが甘いものだけれど、それぞれの、自分だけの幸福がある。それは自分で見つけるものなんだよね。 自分だけの幸福、アンちゃんみたいに考えているだけで幸せになれるもの、コトをたくさん増やしていきたいな。
- 2025年9月23日ニューヨーク精神科医の人間図書館ナ・ジョンホ,米津篤八読み始めた
- 2025年9月23日旅の断片若菜晃子読み終わった本当に「断片」。ごく短い、束の間の出来事を切り取って、ここまでよく書けるものだなあと思う。 外国の色彩が浮かんできて、旅に出かけたくなる本。 インドでお土産を迷って迷って、結局買わなかったことを後悔しているという話、私も似た経験があるのでよくわかる。そういうものほど、強く頭に残って消えない。 旅先で出会ったものは、人であれ物であれ、その時限りのことだから、大切にしなければならない。
- 2025年9月23日海をあげる上間陽子読み終わった海をもらってしまった、という気持ち。著者や関係者の痛みが流れ込んできて苦しい。 でも、知らなければならなかった。沖縄のこと。水道水の汚染、100デシベルで飛んでいる軍用機のこと、辺野古基地建設、五市長が基地建設の県民投票の権利を勝手にないものとしたこと、米兵の性暴力…。戦争の歴史に加えて、どれだけの苦しみが積み重なっているのだろう。 住民は、沈黙しているという。切実な問題になるほど、口を開けない。「いま、まっただなかで暮らしているひとは、どこに逃げたらいいのかわからない。」という言葉は、ガザのことも思い起こさせた。 沖縄に、担ってもらっている。私がしなければならないのは、まず他人事にしないこと。語ること。小さいけれど、そこから始める。 娘さんの、可愛らしいやりとりに救われる。そして著者の、「この子のために将来を繋げるんだ」という強い思いを感じる。
- 2025年9月18日海をあげる上間陽子読んでる
- 2025年9月17日きょうの診察室山口有紗気になる
- 2025年9月17日ときどき旅に出るカフェ近藤史恵読み終わった"旅に出たい。美味しいもの食べて、現地の人とおしゃべりして。素敵な景色とか建物見て、お土産買って。もしくはのんびり通りがかったカフェにでも入って、ちょっとお茶するのもいい。非日常が自分にエネルギーを蓄え、自分の中にあるものを見つめ直す時間になる。 だけど、実際にはそんなに頻繁には行けない。仕事もあるし、休みの時はみんなも休みだから交通費高いし、ホテル代も最近は上がってるし。" そんな思いを軽やかに飛び越えていくような、爽やかな本だった。 主人公が通うようになるカフェ・ルーズのコンセプトは、「旅に出られるカフェ」。店主は月初めの何日かはお店を休みにし、自分も旅行に出たり、試作品を作ったりする。そして、さまざまな国のお料理やお菓子、お茶を出す。 主人公の「当たり前」が、そんな素敵なメニューで解れていく瞬間が気持ちいい。そうだよね、旅の醍醐味ってそこだよね、と思うと同時に、そうか、それは旅に出なくてもできることなのか、と気づかされる。 名前も聞いたことのないお菓子に挑戦してみること、世界にはコーヒーと紅茶をブレンドしたお茶があるんだと知ること、そのお菓子を異国で食べている人に思いを馳せること…。そんな小さなことでも、ちょっとした旅気分を味わえる。要は自分の心の持ちようなんだ。 カフェ・ルーズの店主さんもとても魅力的。こんなカフェがあったら、確かに通いたくなるだろうなあ。
- 2025年9月17日やさしいがつづかない稲垣諭気になる
- 2025年9月17日夏蜜柑とソクラテス新井紀子読みたい
- 2025年9月12日
- 2025年9月12日CARPE DIEM 今この瞬間を生きてヤマザキマリ読んでるp97 「母も、体はもとより、喜びも悲しみや苦しみといった、人としてのあらゆる感受性を全て使いこなし、音楽という世界に本人にできる限りの全てを捧げて生きてきました。」 この文章で驚いたのは、「人としてのあらゆる感受性を全て使いこなし」という捉え方。 私は、悲しみや苦しみはできればあまり感じないで、ポジティブに過ごしたいと思っていた。でもそういう経験をしていないのも浅い人になる気がするから、悲しみや苦しみを感じた時は、一生懸命冷静になろうとしたり、ポジティブな意味に変換しようとしてきた。 でもそれって、その感情をないものにしようとするのと同じことだ。本当はそんな感情も認めてあげて、自分を労ってあげたい。 だから、この捉え方は一種、発想の転換になるな、と感じた。悲しみや苦しみに浸り切ることも大事だけど、一旦その段階から抜けたら、「あぁ私、人としての感受性を使ったなあ」って思えればいい。あらゆる感受性を使いこなすことができたら、人生が充実すると考えられれば、悲しみや苦しみも怖くない。 ちなみにこの後のくだりは、こんなお母さんのようにエネルギッシュに生きた人と同じ時代を共有できたおかげで、色々ひどい目に遭っても、生きることを頑張ってこられたのだし、お母さんの死に大きな喪失感を覚えたり、打ち沈むことがないのだと思う、と続いている。 「そうすれば、死に対しても恐怖心や拒絶感ばかりを感じるのではなく、もっと堂々と歳を取っていけるんじゃないでしょうか。」という一文に共感。そんな風に捉えられるようになりたい。
- 2025年9月12日会話の0.2秒を言語学する水野太貴読みたい
- 2025年9月11日小川さゆり、宗教2世小川さゆり読み終わった本屋さんにずらっと並んでいる時期は手が伸びなかったのだけれど、今回図書館で見かけた時、読んでみたいという思いにとらわれた。 それは、先日「共感と距離感の練習」(小沼理)で読んだ、「今起きていることを見てみぬふりをすることで、私たちは人間性(ヒューマニティ)を自ら手放している。」(p132)という言葉に影響を受けているのだと思う。 読んでみて2つ感じたことがある。 1つ目は、宗教に"ハマる"ことは、誰にでもあり得るということ。何かうまくいかなかった時、誰かに頼りたい時、宗教を選ぶこと自体は一つの手段だ。そこに良い悪いはない。 でもそれは、宗教を自分が選んだこと、そして自分の中で信仰が完結している(物理的にも精神的にも経済的にも、周囲に迷惑をかけない)ことが前提にある。 2つ目に感じたのは、"宗教2世"という、選択肢を持っていない子どもたちにとっては、宗教が地獄になり得るということ。 「宗教が地獄になる」という言い方が用法的に正しい言い方なのかはわからない(私は特定の宗教を持たないから)。ただ私が言いたいのは、「信じる心」を押し付けられることは、想像を絶する苦痛があるのだということ。筆者が信仰心に違和感を持ち始め、体調を崩して精神的に追い詰められていく様子は、読んでいて本当に怖かった。 そういう子どもと出会った時、もしくは宗教じゃなくても、何か特定のものに心が完全に囚われてしまっている人に出会った時、どうすればいいんだろう。何ができるんだろう。 少なくとも、今回1人の宗教2世の半生を知った。知らなかった時よりは考えられる。
- 2025年9月10日旅の断片若菜晃子読み始めたp3 「旅とはそうして未知なる国に行き、新しい発見をすることでもあるが、同時にふだんの生活では見ないように触れないようにしている、自らの未知なる深層にロープを使って降りていく旅でもある。」 いっとき、仕事がひと段落すると一心不乱に旅に出かけていたことを思い出す。 未知の自分に出会いたいがために、一人で知らないところに行き、知らない人と話し、食べたことのないものを食べて、何を感じるかを大事にしていた。 また旅に出かけたい。
- 2025年9月10日読めば分かるは当たり前?犬塚美輪読み始めたp11 「この本を読んでもたぶんそんなに『読解力』は身につきません。ごめんなさい。/言い訳をすると、そもそも『読解力』というまとめ方が雑すぎるのです。たとえば、『サッカーができる力』を『サッカー力』と名付けたとして、『このトレーニングをしたら1週間でサッカーが上手になります』と言われたら『そんなにすぐには無理でしょう』と思うはずです。数学ができる力を『数学力』として、『この1冊で数学力が身につきます』と言われても同じように感じるのではありませんか?」 p14 「それでは具体的にどうすればよいのか、と考えようとすると、実は私たちは『読解力』がそもそも何なのか良く知らないということに気づきます。」 確かに、と思う。読解力を学ぶのは教科で言うと「国語」だけど、「数学」とか「理科」とかに比べて「国語」=国の言葉っていうのもあまりに広い。大学受験の時の現代文、苦手だったなぁ。 この本は、「読解力を高めるための地図」を目指しているという。地図として、読解力があるとはどういうことか(=目的地)を示し、次に自分の読解力がどういう状態なのか(=現在地)を知るために、「分からない」「読むのが難しい」と感じるのはどういう状態なのかを心理学の研究知見から考えるそうだ。 「読解力が大事」って暗黙の了解みたいに思っていたけれど、それが何なのか詳しく知ることで、今からでも読解力を伸ばすことができるだろうか。これから読むのが楽しみになってる。 ちくまプリマー新書だけあって、読みやすそう♪
- 2025年9月9日読み始めた冒頭、「この随想集は必ずしも、最初から読む必要はありません。むしろ、そうしない方がよいようにも感じています。」と書かれている。その言葉の通り、もくじを読んで、今日気になった「22 想像力について」から読んでみた。 p132 「想像力が真にはたらくとき、人は、ある種の現実味、真実味を実感する。」 この言葉がなぜか響いた。一回読んだだけでは意味がはっきりとは捉えられないものの、なんとなく日常で感じているような気もする。 p132 「ミヒャエル・エンデや宮沢賢治の作品を読むとき、私たちは物語空間にいるだけでなく、日常よりも深く、自分の人生とつながっていることに気が付く。空想力が想像力の開花を準備しているのである。」 「モモ」を読むと、時間どろぼうが現代のことを言っているようでドキッとする。出来上がったおもちゃでしか遊べないような人間になっていないか、自分を顧みたりもする。ここで言っているのはそんなようなことなんだろうか。 p133 「空想力は、ほとんどの場合、未来へ、あるいは非現実的な方向へ導く。しかし想像力は、必要であれば、その人の過去に立ち返ることを求める。/別ないい方もできる。想像力を経ない過去は、ひたすら後悔するほかない日々となる。だが、想像力によって過去とつながるとき、人は省察の契機と新しい意味、さらには可能性を見出す。想像力は過去を歴史に変じる。」 「想像力を経ない過去は、ひたすら後悔するほかない日々となる」というのはよく分かる。 心に引っかかったことをぐずぐずと考え続けてしまうのは、振り返りをせず、「じゃあどうすればよかったか」「どう捉えればいいのか」を考えていないとき。後悔していることを書き出すとか、人に話してみることをすると、新たな捉え方ができて救われたり、次にどうすればいいかがわかって心が軽くなったりする。それはつまり、想像力を使って別の可能性が開かれるということ。 「想像力」について、なんとなく考えていたことに言葉が与えられたような、でもまだモヤモヤとして自分の周りを漂っているような気持ち。とりあえず、私は「想像」と「空想」をごっちゃにしていたな、ということはわかった。 若松さんの言葉は何度も読み返すことで自分に入ってくる感覚があるので、今回もこのモヤモヤを抱えながらさらに考えたい。
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