
ヨル
@yoru_no_hon
2025年9月10日

もものかんづめ
さくらももこ
今週末に従姉妹と《さくらももこ展》にいくので『もものかんづめ』をひっぱりだしてくる。文庫本よりも単行本のフォルムがかわいいので集め直したくなっている。
あんなにおもしろおかしく書かれているエッセーだけど、最後に「メルヘン翁」のよせられたコメントに対して書かれていた文章が印象的。わたしの家も同じような状況だったから少しわかるなあと思いながら、それをキッパリと言葉にしている著者がかっこいいなあと思った。
『私は、血のつながりよりも、接する事になったその人を、自分はどう感じるか、自分はその人を好きか嫌いか、という事からつきあいを始めている。私は両親が好きだ。姉も好きだ。血のつながり以前の基本的な想いである。そしてそれが愛情へと行きついている。もちろん、親は子供が産まれた時点で好き嫌いなどとうに超えて愛情を注いでいるし、私自身もそれを感じて育ってきたから、今まで好きや嫌い等といった気持ちは、親に対してもった事もない。だか
らこれは"身内だから"とか"血がつながっているから"等という前提をはずしたうえで、個人としての考え方や方向性の、好きか嫌いかを見た場合の感想である。』(p217)
最後の結婚したあと性が変わったことに対してのことばも印象的。
『私は、親の所有物として生きてきたつもりはなく、親もそのような気持ちを持った事は一度もないと思う。
親にとって私や姉は、お腹の中からやってきた、これから一緒に喜んだり悲しんだりする、いとおしい仲間であった。
父は、自分が姓が変わってしまう経験がなかったものだから、何だか一層感極まってしまったのであろう。
姓が変わる事なんて、そんなにたいした事はない。水だって、行きたくて空へ昇って、固まって落ちてきたら雪と呼ばれるようになる。それと同じだ。私も行きたくてお嫁に行って呼び名が変わった。
雪は溶けてまた水と呼ばれるようになる。できる事なら私は万年雪でありたいと願う。』(p232)










