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ヨル
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@yoru_no_hon
本のこと 日々のことをつらつら書きます。
  • 2025年8月26日
    記憶の旗を立てる〈8月15日の日記集〉
    (同じものではないけれど、本書が出てこなかったのでここにのせます。) 『日常をうたう』椋本湧也 戦時体験者である椋本さんの祖母のインタビューを聞いてから書かれた、27名の8月15日の日記集。 戦後80年だそうで、あの頃の悲劇は絶対くりかえしてはならないと誰もが思っていることだと思うけど、それは絶対起こらないといえるのか...と、今の世の中を見ていて時々思ってしまう。自国のことだけじゃない、ウクライナやガザ、その他の紛争地域。人が人を殺すこのに意味なんてないのに、なぜこうも終わりがないのか、終わろうとしないのか。そんな憤りを抱えて開いた日記には、それぞれのあたり前の日常が綴ってあった。あたり前に明日が来ること、夜の怖さを恐れないでいられること、おいしいごはんを食べることができること、すきな人と一緒にいられること。 あたり前だけどあたり前じゃないありふれた日常を大切に、そのことを忘れないで生きてきたい。 第2弾の『記憶の旗を立てる』こちらも読みたい。 『わたしが今日「普通の日」を過ごせたのは、明日があるからだった。 昨日と今日と明日が当たり前に連続していく感覚の中に、ほとんど無意識にいる。 そのことが、わたしに「普通の日」を過ごさせる。 「普通の日」と言ったのは特筆すべきことがないという意味だけれど、いつもとそう変わらないことがあったとも言える。 いつものように食べて、いつものように働いて、いつものように電話をした。 「いつも」があった。 それは、とりとめのないことだろうか?』(p.92) 『もうすぐあたらしい「今日」が来る。 平等な「今日」とともに、とりとめのない「いつも」がありますように。 それぞれのうたを、明日も。』(p.94より)
    記憶の旗を立てる〈8月15日の日記集〉
  • 2025年8月23日
    時の旅人
    時の旅人
    0823 昨日退院して家に帰ってくる。2泊3日の入院生活だった。短かったけど入院中に病棟で夏まつりがあったり夕食にアイスが出たりと、いつも以上におたのしみがたくさんあってたのしい入院生活だったようだ。しばらくは手術も入院もないようなのでほっとしている。息子の方は保育士さんや看護師さんたちと会いたいからまた入院してもいいよと言うのだろうなあ。 入院生活から読みはじめた『時の旅人』療養のために大叔母の家(サッカーズ農場)にあずけられることになったアリソンとイアンとペネロピーが、ちょうど大叔母と対面したところから読み進める。とびきり大きくて丸い赤い顔のバーナバスおじさんと背中は曲がっているけど小柄で顔は少女のようなティッシーおばさん。2人のすべてが詰まっているすてきな家での温かみのある暮らしに心癒される。ペネロピーがどんな成長をとげるのか、歴史、タイムスリップものでもあるからたのしみである。 「暖炉の明りと金色の照り返し、ゆったりとあったかいアクセントではなすおじさんたちの声、天井のあちこちにぶらさげてあるハーブの束から部屋じゅうにただよういいにおい。すばらしい第一夜でした。私はほとんど話をせず、人の話にも耳を傾けずに、部屋の隅の暖かい火のそばにすわって、薪のはじけるのや、銅の食器類の上でちらちらしている光を見つめていました。バーナバスおじさんがそばにいました。私は、自分がいつの間にか、おじさんにくっついていたことに気づきました。おじさんは、なにかの、とてもいいにおいがしていました。あとになって、それはカウケーキという牛の餌のにおいだとわかりました。私はおじさんのざっくりした上着によりかかって、目をつむっていました。やがて、ろうそくに火がつけられ、私たちはつまずき、つまずき、二階へ上がりました。ティッシーおばさんも、暖炉の火のまん中から取ったまっかな燃えがらを銅の火のしにいっぱい入れて、いっしょに上がってきました。おばさんは、その火のしで私たちのシーツを何度もこすって温め、それから、おやすみのキスをしてくれました。私は、やっとのことで服をぬいで、まっ白なベッドの中にころがりこみました。雪のように白いベッドは両腕をひろげて待っていてくれて、すっぽりと、私を抱きしめてくれました。」(p42より)
    時の旅人
  • 2025年8月21日
    Hanako(ハナコ) 2025年 9月号 [ムーミンと、夏のアート旅。]
    0821 息子の手術も無事終了し術後も良好。レゴブロックで遊んだり、DVDを観たりして過ごす。 コンビニで最高な二冊を見つけ即購入。ムーミン特集見てるだけで至福。空き時間が豊かになる。
    Hanako(ハナコ) 2025年 9月号 [ムーミンと、夏のアート旅。]
  • 2025年8月21日
    時の旅人
    時の旅人
    0821 昨日から息子と入院生活。前回同様10日以上の入院のつもりで準備してしたのに、2泊3日で退院できるかもしれないといわれ拍子抜けする。持ってきた大量の本を横目に昨日の夜は無心で寝ることにした。早く退院できることはうれしいのだが、新学期にも間に合うし、息子も学校には行きたがってるようだし。ただ、わたしの気持ちが追いついてない。息子よりわたしの方が夏休みからぬけだせていない(笑) 『時の旅人』を開く。今晩は本をしっかり読みたい。
    時の旅人
  • 2025年8月17日
    本を贈る
    本を贈る
    ぼくがつくりたいのは、ただ読むためだけの本ではない。そうではなくて、家に大切に持ち帰りたくなるような本、誰かに贈りたくなるような本だ。 本屋さんで出会って、気になって、自分へのプレゼントのように思って、レジに持っていく。そして、抱えるようにして家へ持って帰る。 読むのはいつでもいい。気が向いたときにページをめくればいい。 それよりも、部屋のどこに置くか。本棚があれば、どの本の隣りに並べるか。 じゅうぶんな本棚がなければ、食卓の近くか。それともベッドの近くか。とっておきの陳列棚があればそこに。なければどこかに。 そのたいせつな本は、あるいは、友人の部屋のどこかへと運ばれていく。(p.10~11より)
    本を贈る
  • 2025年8月16日
    目をあけてごらん、離陸するから
    0816 今年の夏は人と会うことが多かった。本を読むときもわざわざ人の中に身を置いて読む状況を無理やりつくっている。雑音の中でもガンガン読めるので気にならない。むしろ今年は雑音があった方がいいみたいだ。 『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』を再読後、読了。『真夜中のパーティー』『作家とおやつ』を読了。今は読みかけだった『ケアの論理とエンパワメント』をノートを取りながら読んでいる。『ジェイン・エア』『フランケンシュタイン』も読みたい。 来週には息子との入院生活がはじまるのでずっとそわそわしている感じ。日程がズレてしまったこともあってまた変更にならないか、気が気じゃない。無事におわるといいが。持っていく本は事前に選んでいたけど、読んでしまったものもあるのでまた選び直さねば。さて、何を読もうか。
    目をあけてごらん、離陸するから
  • 2025年8月6日
    作家とおやつ
    作家とおやつ
    0806 大きな雷の音で目が覚めた朝。ゴロゴロ...ドッカーン!ドッカーン!ドッカーン!バン!バン!バン!!!というような雷で、聞いたこともないような音に少し怖くなる。雷ってこんな音だっけ?隕石か何かが地上めがけて叩き落とされたような音だなと思った。この前映画「TOKYO MER 南海ミッション」を観てきたばかりだったから最悪な状況を思い浮かべてしまう。何も被害がないといいなと思う。大雨、雷、洪水注意報が出ている。 息子がご飯を食べている間、『作家とおやつ』をパラパラめくる。スコーン作りたい。
    作家とおやつ
  • 2025年7月26日
    真夜中のパーティー
    真夜中のパーティー
    『トムは真夜中の庭で』がとてもすきで、フィリパ二冊目。無邪気な子どもの中に大人を見る瞬間があり、少し切なくもあるが、こうやって徐々に大人になっていくんだろうなあ(なってきたんだろうなあ)と、読みながらぼんやり思う。 表題作の「真夜中のパーティー」の中で、アリソンが作ったマッシュポテトで作るパラダイスケーキがおいしそうで...。仕上げにバターとか罪。しかも寝ぼけながら食べされられるとか(笑)
    真夜中のパーティー
  • 2025年7月25日
    ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
    『さみしい夜のページをめくれ』を読み終えて、タコジローが選んでいたこの本を読みたくなる。黄色と緑の付箋は4年前につけたもので、青い付箋は今読みながらつけているもの。
    ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
  • 2025年7月15日
    がっこうはじごく
    「あなたの話が聞きたくて、ここにいる。わたしのことを知って欲しくて、学校にいる。」 ことばだけじゃなくて、心からそう思ってくれる先生、人がいれば、学校という変な場所にも苦しまずに、もっと気楽に、いけるのだろうなあと思う。 【だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでいないし 旅でもない/宇都宮敦】こんな短歌を送ってくれる堀さんはすこぶるかっこいいと思う。「先生じゃないみたいな先生」自分とただの人として関わろうと思ってくれる先生がいることは、とても大きいことだとわたしは思う。 今年のマイベスト本。大きくなったら子どもたちにも読んでほしい。
    がっこうはじごく
  • 2025年7月2日
    オックスフォードの女性哲学者たち
    オックスフォードの女性哲学者たち
    読みたい。
  • 2025年7月2日
    さみしい夜にはペンを持て
    読みたい本と手に取る本がちがったり、いまひとつぐっと読書に入り込めない。 おじさんとタコジローの会話が身体にしみていく日々。
    さみしい夜にはペンを持て
  • 2025年6月30日
    薬屋のひとりごと(15)
    薬屋のひとりごと(15)
    はあ~~~ん、もう最高におもしろすぎた/// (や~っと9巻以降買って、今朝5時頃まで読んでて、そのあと田んぼにも入ったから今め~っちゃ眠い。けど今後の展開に興奮して寝る気になれない。猫猫かわいい猫猫かわいい猫猫かわいい猫猫かわいい!!!!!!!!!また一から読みなおそうかな。)
    薬屋のひとりごと(15)
  • 2025年6月23日
    金閣寺
    金閣寺
    第六章を読み終わる。溝口や柏木にのみ込まれ少しずつしか読み進められない。破滅的な方へ着実に進んで行ってるのがわかるからこそ、ここはゆっくりと読みたい。
  • 2025年6月23日
    この世の喜びよ
    この世の喜びよ
    井戸川さん三冊目。芥川賞受賞作と聞くと少し構えてしまうのだけど、彼女の文体は、流れのままにただひたすら読むのが一番ベストな読み方だと思っている。今のことから過去を思い出す文体は滝口悠生を思い出させ、流れ出るような言葉の連なりを感じるような文体は、多和田葉子やアリ・スミスを思い出させた。 「暇な時にはいつも思い出しているはずの、幼い頃のあの子たちの姿も、誰かに語ろうとすれば飛んでいってしまう。」(p25) 子育てをはじめたばかりの頃「わたしの小さい頃はどうだった?」と母に聞いて「忙しすぎて忘れちゃったよ」とよく言われていたことを思い出す。そんなばかなと思っていたけど、現にわたしも忘れてしまっている。アドバイスを聞くくせに、やり方を否定されたり、わたしの時はこうだったこうしてたなんて、説教じみたことも言われたりすると、もういいよ、となってしまっていたことも。これからはわたしが子どもから言われるのだろうな。 教えるなんておこがましい。「あなたに何かを伝えられることの喜びよ」そう思って子育てできたら、わたしも息子も、もっとのびのび生きていけそうな気がしている。
  • 2025年6月23日
    読書の日記
    読書の日記
    週末に甥っ子が遊びにきたり、小学校の懇親会があったり、従妹がお茶にしきたり、海外からのインスタの不正ログインがあったり(笑)と、盛りだくさんの週末だった。お酒を飲んでないのに二日酔いみたいな症状に見舞われたり、ずっとiPhoneやらPCとにらめっこしていたからか目の奥が痛く偏頭痛が起きたりと、精神的にも肉体的にも疲労困憊で、寝ても寝ても眠い二日だった。その分たのしいこともあって、プラマイゼロって感じではあるのだけど、そんな中では読書はもちろんできなくて、金曜日に開いた『読書の日記』が最後に読んだ本だった。この本を永遠に読み終わりたくないと思っている自分がいる。 阿久津さんは『ピンポン』を読み終えたところで、わたしはあの映画の「ピンポン」の原作と思いながら読んでいて、途中からちがうということに気づいたんだけど、映画のことを調べていたらまた観たい気持ちになっている。中学生の頃一回観たような気はするのだけどあまり覚えていない。パク・ミンギュの『ピンポン』も読みたくなっている。 そのあったかいものたちを除いては──完璧な無の世界だ。四方の白さがだから僕には恐ろしく、美しかった。セクラテンはどうなったんだろう?それに双子は?ええと、と僕はもう一度あたりを見回した。そばにセクラテンがいてくれたらあったかかっただろうけど、すぐに気持ちが楽になった。眠気が襲ってきた。僕らは異常なほど無為で、異常なほど全身無事だった。爪をかみながら僕は寝入ってしまった。どこも痛くないし、寂しくもない。長い長い真っ白な睡眠を、それで僕らはとることができた。──『ピンポン』p.195より引用(本書p791より)
    読書の日記
  • 2025年6月20日
    本と歩く人
    本と歩く人
  • 2025年6月18日
    両方になる
    両方になる
    ああ、と彼女は言った。だから泣いてるわけ?でも、本当は消えたわけじゃないわ。だからこそ、金の指輪より素敵なの。輪は実は消えてない。たまたま私たちの目には見えなくなっただけ。本当は、今でもずっと広がり続けている。あなたが見た輪はどこまでも進み続けて、どんどん広がる。水溜まりの端まで達したら、今度は水から出て、目には見えないけれど空気の中を進む。驚異の現象ね。体の中を輪が突き抜けるのを感じた?感じなかった?でも、通ったのよ。今ではあなたも輪の内側にいる。ママもそう。私たちは二人とも輪の内側にいる。この庭も。瓦の山も。砂の山も。新小屋も。家も。それに馬、パパ、伯父さん、お兄ちゃんたち、職人さんたち、家の前の道も。よそのおうちも。それから塀も庭も、家も教会も、宮殿の塔も大聖堂の尖塔も、川、裏の野原も、ほら、あの向こうの野原も。あなたの目はどこまで見える?あそこの塔、向こうの家が見える?誰も何も気付かないけれど、輪はそこを通り抜けているの。ここからは見えない野原や畑の上に輪が広がるところを想像してごらんなさい。野原や畑を越えてその向こうの町、さらに向こうの海まで広がっていく。次は海の向こうまで。あなたが水溜まりに見た輪は世界の縁まで広がり、縁まで行ってもまだ進むのをやめない。何もそれを止めることはできないわ。(p.18) 『両方になる』はなぜか没入できなくて、すぐ内容を忘れてしまう、今は読むタイミングではないんだろうな、とも思うけど、読みたい気持ちもあるので、根気強くページを開く。20pぐらい読んで、少し間をあけてまた開くと忘れているので、最初から読む、というのを、購入してから5回以上はやってる気がする(笑) アリ・スミスのこういう文章すき。
    両方になる
  • 2025年6月17日
    移動そのもの
    移動そのもの
    目を上下に左右に移動させて文字を追う。思考は別に切り離し、ただ目の前に連なっている文字をひたすら追う。考えたら最後、迷路から抜け出せなくなってしまいそうで。それがだんだん、グルーヴが合ってくるからか、《読む》に変わる瞬間がある。言葉が言葉を増殖させて、大きく大きくどこまでも広がっていきそうな勢がある。その勢に戦く自分がいる。でもなぜか読むことをやめられない。掴もうとしないでいるところに、気づくと手が差しだされているといった感じで、その瞬間がおもしろく、完全に癖になってしまった。 やっとこ無印のコーヒーサーバーセットを買った。コーヒーを入れるのが至福の時間になる。アイスコーヒーがうまい季節でがぶがぶ飲んじゃう。
    移動そのもの
  • 2025年6月15日
    移動そのもの
    移動そのもの
    息子の汗疹が酷いなと思って受診したらりんご病だったことが判明。痒みも熱もなかったことが救い。もう感染力はないよう。その足で図書館に行きたいと言われ、10冊以上借りてくる。わたしも目に付いた井戸川さんの『移動そのもの』『曇りなく日常に良く』を借りてくる。夜はレアチーズケーキを試作。いびつになっちゃったけど味は好評。また作る。
    移動そのもの
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