
いっちー
@icchii317
2025年9月11日

ソーンダーズ先生の小説教室 ロシア文学に学ぶ書くこと、読むこと、生きること
ジョージ・ソーンダーズ,
柳田麻里,
秋草俊一郎
「自分が夢みた作家像とはほど遠い作家になるかもしれない。けっきょくのところ、書き手はよくも悪くも、本当の自分に書けるものしか書けない。幾年も努力してきたことー文章だけでなく、もしかしたら人生そのものにおいても、抑制したり否定したり修正を試みてきたかもしれない少し恥ずかしいような自分自身の性ーからしか生み出せない。」p148-149
「ヘミングウェイ山を登れる高さまで登ってみて、その山では私はどれだけ頑張っても手習いレベルまでしかたどり着けないと気づき、猿真似は二度としないと反省しながら谷を降りていったら、「ソーンダーズ山」と銘打たれたクズ山にいきあたった。「うーん……すごく小さい。しかもクズ山だし」と私は考える。でも、私の名前がついている。」p152
この瞬間のことを「勝利と落胆の入りまじった瞬間」と表現している。自己受容であり、諦めであり、でも同時に清々しいような。自分は自分にしかなれないんだ、という感覚。この事実に辿り着くのは、頭では簡単に思えるけど、実際はその壁にぶち当たらないと気づかないままのことも多い。
鶏口牛後、という言葉も実はこういう意味なのかもしれない。
ああ、だから表現への憧れはやめられない。自分として生きていきたい。
ただしそこへの向き合い方は私にはまだ足りない。すぐに見つけてもらおうとしている自分に最近気づいた。“自分の執筆モードで書きつづければ”いいのだ。