mikechatoran "トピーカ・スクール" 2025年9月12日

トピーカ・スクール
トピーカ・スクール
ベン・ラーナー,
川野太郎
そもそも人には他人には想像すらできない心の領域があって、何を考えてるかわからないし、言葉がかならずしも考えたことや言いたいことを正確に言い表せるとは限らないのに、現代ではさらに言葉が過剰なあまり、意味をなさなくなったり、相手を黙らせる暴力として使用することがもてはやされたり(いわゆる「論破」だ)している。しかし、それはSNS全盛の今どこでも見られる光景であって、アメリカを現在のアメリカにしているのは何なのだろうか。それがアダムにも見られた、少年期の有害な男性性や覇権的な男性性と結びつくこと、つまり、アメリカが成熟した大人の社会ではないということなのだろうか。ラーナーはまた子供が学ぶのは「反復」であって(体験している当人にとっては唯一無二のできごとだが)、他人と分かち合えない本当に特異な体験(アダムの脳震盪やスプレッド、ダレンの病気など?)は当人を「宇宙空間にいる子供」のように孤独にすると描く。話が通じない時、孤立して分かってもらえないときなど「言葉がやむ時暴力が顔を出す」。実験的な文体で読みやすいとは言えないが、言葉や現代についてさまざまなことを考えさせられた。
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