
@nk
@nk_250828-
2025年9月14日

まともな家の子供はいない
津村記久子
読了@nk
2つの中篇からなる1冊。
中3のセキコの渦巻く感情が描かれる表題作では、夏休みの塾の宿題という日常を起点に、自身と同級生たちの家族へと物語は展開される。
心に空いた穴を満たすべく、ときに叫び憤り、分かったようで腑に落ち切らない自分の解釈を眺めては諦めに近い着地をも繰り返す。
そんな思春期を生きる中学生たちに、後篇「サバイブ」の英語教師は “大人” として「始末に負えないのは、それをただ不満足だと叫ぶ代わりに、いろいろな満たし方を覚えてしまうことです。(p206)」と言う。
健気に「だいじょうぶですか?(p275)」と訊くのは、まだ心に穴などないであろう小学生の千里。そして「自分と他者の境界などないのではないか(p277)」と感じるのは大学生の沙和子であり、彼女の疑問は子供と大人の境界にも重なる。
中学生の思春期を描いただけではない、前篇と後篇が不可分の、壮大な小説だった。
沙和子が空へ投げた「いつかもう少しましになる日が来る。(p279)」という言葉は、かつて読んだ『君は永遠にそいつらより若い』に通底する。
津村記久子は、ほんとうに稀有な作家だと思う。





