まともな家の子供はいない
17件の記録
noripiii@quadspin_norimusubi2025年10月16日読んでるうおおおい、やっぱり津村さんの物語はいい。表題作をまず読了。津村さんてなんでこんなに人間の気持ちの描写が気持ちいいんだろう。心がざわつきそうな出来事も、なぜか淡々と過ぎゆく日常の一コマにも見えるようになっていて、不思議だ。 中学生の夏休みにしてはとても不憫なストーリーだけど、塾の宿題が少しずつ集まっていくなかに、子どもと各家庭のストーリーが折り重なっていて、すごくいい。 明日の仕事のために寝なくてはいけないのに一気読みしてしまった、あと木曜と金曜もあるよ…




noripiii@quadspin_norimusubi2025年10月16日読み終わった「その子はまだ、あなたほど自分の心の隙をもてあましてはいないんだ、誰かを抱きしめるだとか誰かに抱きしめられるだとか、それだけで何かが変わると信じられるほど、その子の心に穴は空いていないんだ。」(275頁) 凄い文章だ、誰かに抱きしめられてなにかが変わると思うのは、たしかに愛を渇望してる人だけだ。いや、愛を渇望しているというより、あると思っていたものがもともとなかったことに気づいたときの喪失感か。でもそんな状況でも、誰かにその状況を変えて欲しいという他力本願ではあるんだよなあ。




noripiii@quadspin_norimusubi2025年10月11日買った読み始めた@ 今野書店なんでこの本、見落としてたんだろう。津村記久子さんの本、あんだけ読んできたのに!ちくま文庫が40周年記念イベントしてくれててよかった。
@nk@nk_250828-2025年9月14日読了@nk2つの中篇からなる1冊。 中3のセキコの渦巻く感情が描かれる表題作では、夏休みの塾の宿題という日常を起点に、自身と同級生たちの家族へと物語は展開される。 心に空いた穴を満たすべく、ときに叫び憤り、分かったようで腑に落ち切らない自分の解釈を眺めては諦めに近い着地をも繰り返す。 そんな思春期を生きる中学生たちに、後篇「サバイブ」の英語教師は “大人” として「始末に負えないのは、それをただ不満足だと叫ぶ代わりに、いろいろな満たし方を覚えてしまうことです。(p206)」と言う。 健気に「だいじょうぶですか?(p275)」と訊くのは、まだ心に穴などないであろう小学生の千里。そして「自分と他者の境界などないのではないか(p277)」と感じるのは大学生の沙和子であり、彼女の疑問は子供と大人の境界にも重なる。 中学生の思春期を描いただけではない、前篇と後篇が不可分の、壮大な小説だった。 沙和子が空へ投げた「いつかもう少しましになる日が来る。(p279)」という言葉は、かつて読んだ『君は永遠にそいつらより若い』に通底する。 津村記久子は、ほんとうに稀有な作家だと思う。





















