
ami
@aoi_umi___
2025年9月24日

神様のボート
江國香織
読み終わった
かつて読んだ
p52
物は、持つより捨てる方がずっと楽だ。
ーそれはつまり、生活に責任を持ちたくないということかな。
桃井先生に、ときどきそんな風に問い詰められた。
ーいつまでもふわふわしていたいということかい?
たしかに、何かを所有することで、ひとは地上に一つずつ縛りつけられる。
p85
ーずいぶん遠くまでいってたんだね。
私は泣きたかった。いっぺんに気持ちがあふれてどうしようもなかった。ずっと一人だった。トッポジージョにはなれなかった。自分は不幸だと思ったことはなかったが、でも、つまらなかった。生きていてもよくわからなかった。どうすればいいのか、どうしてもった生きていかなくちゃいけないのか。あの人に会うまでは。
p107
「いい匂い」
遠くの空をみながらあたしは言った。
「何の匂い?」
ママはフレアスカートの裾をひるがえしながら歩く。はだしのくるぶし、赤いサンダル。
「夕方の匂い」
不思議なことになって、夏の夕方の匂いはどの町でもおんなじだ。
p147
ー記憶に残ってしまう匂いね、花火のけむりは。
ろうそくに火をつけようと苦心している桃井先生の横顔をおもいだしながら、私は草子にそう言った。
p230
ピアノを弾くママの横顔は、透明で強くてとてもきれいだと思う。
p274
死は、やすらかなものとしてここにある。いつでも。
ジン・トニックをのみながら、私は毎晩それについて考える。
ーいつか俺たちが死んだら、水になるね。
骨ごと溶けるような、私の体とあのひとの体のあいだに皮膚なんて存在しないみたいな烈しくすばらしいセックスのあと、あのひとはよくそう言った。
ーこうやって抱きあったまま、水になって流れていく。
ー川みたいに?
ーそう。川みたいに。
ー抱きあったまま?
ーそう。絶対に離れない。
手も足もからめたまま、川みたいに。
それは、とても単純なことに思えた。とても単純でとても正しい、この上なく安心なことに思えた。
いつか私たちが死んだらー。
グラスの中のジン・トニックは、ひかえめな明かりの中で、夜の川のようにみえる。
森の奥を流れる清冽な川。
いつか私たちが死んだらー。
p278
海に出るつもりじゎなかった。
これはアーサー・ランサムの小説のタイトルですが、人生にはそういうことがときどきあって、「彼女」の人生もたぶんそんなふうにして、それまでの生活から切り離されてしまったのだろうと思います。
海に出るつもりじゃなかった。
誰かを好きになると、いつもそうです。
小さな、しずかな物語ですが、これは狂気の物語です。そして、いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。


