
DN/HP
@DN_HP
2025年9月14日

星に仄めかされて (講談社文庫)
多和田葉子
読み終わった
また読みたい
多和田葉子の3部作の2作目を読んだ。
登場人物それぞれが「語る」個人的で小さな物語の連なり、という立て付けは前作も同様なのだけれど、ここではそこに改めて注目して読んでいた。それぞれに「ルーツ」があってそれに縛られたり抜け出そうとしている今がある。伝えきれない、伝える気もない思いがある。感情や思索は当然その人だけのものだ。それらはすべて日本語で書かれているにも関わらず、それぞれに独特の響きがあるように感じる。小説が上手い。「あなた」が語る「わたし」と「わたし」が語ろうとしている「わたし」には齟齬がある。まったく別の響きをもっている。
「わたし」の響きが「あなた」に跳ね返り、「あなた」の響きが「わたし」を通り越し誰かに跳ね返る。その場には美しかったり醜かったり、喜ばしいと思えば哀しみも顔を出す、複雑な響きが生まれる。それぞれの物語は同じ場で同じ時に語られ(あるいは思われ)ていても、本質的には交わることが出来ない。それでも「わたし」は「あなた」の、この場にある、響きに必死に耳を傾ける。理解出来ないとしても知ろうとする。だって世界はそういうものだから、その世界で「あなた」と生きているのだから。その後には、強く手を握り合っても静かにその場を離れてもいい。
個人的な小さな物語は連なり束ねられても、歴史のような一面的なひとつの大きな物語にはなることはない。そこにあるのは恐ろしく多くの面をもった、一目では捉えどころがないけれど、たしかにあるこの世界だ。やはりこれも世界を描こうとしている小説。少し話が大袈裟になってきたな、と思いながらもそんなことを考えている。小説とはそうやって世界を描くものだ、とも思っている。3作目もちょうど文庫化されるみたいだから、近いうちに読みたい。






