uey "地下室の手記" 2025年9月15日

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2025年9月15日
地下室の手記
地下室の手記
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフス,
安岡治子
ドストエフスキーらしさが詰まってる。 第1部の人間についての考察は圧巻。ひたすら愚行権みたいなことについてドストエフスキーのあの文体で考察がされてる。ずっとピアノのキーと2×2=4にいちゃもんをつけてる(笑)。 第2部は地下室人の昔の思い出が小説っぽく描かれてるが、まじで痛すぎる…。でもよくわかる。 「たとえ人間のしていることと言えばただ一つ、二、二が四を探し求めることであり、そのためには大洋を渡り生命を犠牲にすることも厭わないとしても、実際にそれを見つけ出してしまうことは、確かになぜか怖れているのだ。見つけ出してしまったら、もう何もすることがなくなると察しているからだ。労働者なら、一仕事終えれば少なくとも金がもらえ、まずは居酒屋へ行くだろう。その後は警察の厄介になり、それで一週間はつぶせるわけだが、普通の人間はどこへ行けばよいのか?少なくともそうした目的を達成するたびに、人間にはどことなくぎこちない居心地の悪そうな様子が見られる。人間は、なにかを達成するプロセスは好きなくせに、目的を達成してしまうことはあまり好まないときている。これはもちろんひどく滑稽なことだ。要するに人間は喜劇的に出来ているわけだ。明らかにこれらすべてが、駄洒落のようなものだが……。それにしても、二、二が四とは、実に鼻持ちならない奴だ。二、二が四なんぞ、俺に言わせれば、厚かましいにもほどがある。偉そうに恰好をつけて、腰に手を当てて人の行く手に立ちはだかり、頭から人を蔑んでいるじゃないか。二、二が四が実に申し分のない結構なものであることは認めるよ。でもなにからなにまで誉めるというなら、二、二が五だってときにはそれは可愛らしいものだと言えるんじゃないか?」
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