r "モモ" 2025年9月19日

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@teihakutou
2025年9月19日
モモ
モモ
ミヒャエル・エンデ,
大島かおり
自分の“人生を作った本”ってある?、いつかそんな話もしたい、と本好きの友人に言われていたので、考える。わたしの“人生を作った本”かー、本読むようになったの最近だから難しいなー…と思いつつも、これは入れたいなという1冊。
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2020年の引用メモがあったので貼り付けておく。 ── 『モモ』 小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。 でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。 ●道路掃除夫ベッポ …でもモモだけはいつまででもベッポの返事を待ちましたし、彼の言うことがよく理解できました。こんなに時間がかかるのは、けっしてまちがったことを言うまいとしているからだと、知っていたからです。ベッポの考えでは、世のなかの不幸というものはすべてみんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。 なあ、モモ。 とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。 そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。 いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。 するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。 ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。 これがだいじなんだ。 (つづく)
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●モモ、時間の国につく 時間はあるーーそれはいずれにしろたしかだ。でも、さわることはできない。つかまえられもしない。においみたいなものかな? でも時間て、ちっともとまってないで、動いていく。すると、どこからかやってくるにちがいない。風みたいなものかしら? いや、ちがう! そうだ、わかった! 一種の音楽なのよーーいつでもひびいているから、人間がとりたてて聞きもしない音楽。でもあたしは、ときどき聞いていたような気がする。とってもしずかな音楽よ。 あの音楽はとおくから聞こえてきたけど、でもあたしの心のふかいところでひびきあった。時間ていうのも、やっぱりそういうものかもしれない。 あたしの言いたいのは、水の上を風が吹くと、さざ波がおこるでしょ、そういうようなことなの。でもあたし、きっとくだらないことばかりしゃべってるんだわ! ●ゆたかさのなかの苦しみ 「こうしてすぎていったのは、たかだか数か月のことでしたーーでもモモにとっては、これまでになく長い時間でした。ほんとうの時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではないのです。  このような性質の孤独についても、やはりほんとうはことばではなにもあらわせません。あとひとつだけ、こう言っておけばおそらくじゅうぶんでしょう。もしモモがマイスター・ホラのところへ行く道を見つけることごできたならーーなんども、なんどもさがしてみたのですーー、そうしたらマイスター・ホラのもとにとんでいって、もう時間はいらないから送らないでほしいとたのむか、あるいは〈どこにもない家〉の彼のもとにずっといさせてほしいとたのむかしたことでしょう。」 ミチハ ワタシノナカニアリマス オソイホド ハヤイ
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