読書猫 "パリの砂漠、東京の蜃気楼" 2025年9月19日

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@bookcat
2025年9月19日
パリの砂漠、東京の蜃気楼
(本文抜粋) “シンプルを志して生きてきたつもりだったのに、なぜこんなにもこんがらがってしまったのだろう。目を閉じて浮かぶものと、今目を開けてそこにあるものの差が耐え難い。ここにいたくないのにここにいる。一緒にいたい人と目の前にいる人が違う。望んでいる世界と今いる世界が遠く離れている。ただひたすら全てがばらばらで、散り散りに引き裂かれている気分だった。無力感は湖に垂らした絵の具のようにじわじわと端々から水に溶け次第にどす黒く広がっていく。” “私は何故常に理性を失い続けているのだろう。どうして三十四年間、理性を喪失したまま生きてきたのだろう。私の人生は足を踏み外し続けることで無理やり転がり続けてきたようなものだった。” “基本的に鬱は早起きや掃除や武道や水行をすれば治ると思っている旦那と、早起きや定期的な掃除、武道や水行をするような人は鬱にはならないし鬱な人はそんなことできないし、そんなことをするくらいなら死ぬと思っているのだと主張する私は、一生分かり合えないだろう。それでも重なり合った部分はあって、その部分のかけがえのなさを思うたび、私はこの人と一生離れられないような気がする。この人とは離婚するほかなさそうだ。そういう判断を下したことも何度かあったけれど、彼のかき鳴らす雑音に揉まれている内、意外なほどその雑音に私の憂鬱や死にたみが紛れていることを自覚した。永遠に分かり合えない人と一番近いところで生きることこそが、きっと私にとっての修行なのだ。” “ぼんやりと幼少期の頃を思い出しながら、合点がいった。どうしてか分からないけれど、私はもともと生きづらかった。生きづらさのリハビリをしてくれたのは、母親や家庭ではなく、恋愛であり、小説だった。” “長女と笑い合って「かわいいなあ」と目を細める私は本当に愉快で幸せを感じていたけれど、この文章を書いている今の私は胃が空洞になったような物悲しさを体の中心に感じ涙を浮かべている。普通に日常を生きる自分と書く自分の乖離に身を委ねることは、それによって生き長らえているようでもあり、首を絞められているようでもある。”
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