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@m15ar
2025年9月23日

いくつもの週末
江國香織
読み終わった
@ 自宅
とてもとても好きだった。
たった1人の誰かと一緒にいることを愛していながら、自分という1人も愛する、そうすることがつまり人生を愛するということ(どちらが欠けても人生を愛するということにはならない)のだ、という、
長く自分の中にあった感覚がこの本を読んで上記のように言語化して外に出て来た。
私は、自分の、今言語化して出て来たような部分がとても好きだ。
他の人では、持っている人は少ないような気がする。少なくても、たまにいる。そして、同じ感覚を持つ人と出会うとソウルメイトだなと思う。
あぁそうか、私が誰かをソウルメイトだと思う時は、この部分を持っていることを共通項として感じた時なんだろうな。"この部分"が何か、完璧な言葉はまだ見つからないけど、江國香織の小説の中に散りばめられているものであることは、今までの江國香織の小説を読んだ時の自分の鼓動から分かっている。派手では無いのに、どきどきする感じ。
結婚してから、生活は色つきになったんだそう。
独身生活には、モノトーンの秩序があると。モノトーンの秩序自体は、自分が大切に作り上げて来た秩序だから、それは間違いなく自分にとって大切なもの。
だけど、たとえば深夜お風呂の中で本を読んでいて、急に恐怖にかられてすくんでしまうことがあった時、お風呂場の扉と洗面所の扉を開ければ夫のいびきが聞こえてくる。途端に1人ではないことを確認してすごくほっとする。とか。色つきとはそういうことなんだそう。
それから、夏、雨に濡れる東京タワーを見に行く、とか。「そこにはあらかじめ電話をかけて誘い、スケジュールを調整して約束し、待ち合わせてでかける、というプロセスを踏んだのでは到底存在し得ない特別な空気があって、私はその身軽さや鮮度が大好きだ。色つきとは、たとえばそういうこと。」(色)と江國香織は表現していたけれど、大きく共感する。
あとは、夜に、屋根が開く車で、住宅街に桜を見にドライブに行く描写にどきどきした(桜ドライヴとお正月)。
風邪が吹いたり、雨が降ったら散ってしまう、今日見に行かないと見られないものをすぐに(それもロマンチックに)共有できる幸せ。
日常の中の非日常を共にすることがとても好きなのかも。平日の夜に、少しおしゃれをしてブルーノートへ行きたい、と思った気持ちと重なる。
そして、日常を共にすることにも愛を見出したいのかな。非日常が存在することで、輪郭がくっきりする"日常"に。

