あおたむ "ヘヴン" 2025年9月25日

あおたむ
あおたむ
@aooimmo
2025年9月25日
ヘヴン
ヘヴン
川上未映子
【ネタバレあり】 普通に私が分かりやすいハッピーエンドが好きなのもあるけど、「それでどうなったの?」としか思わなかった。いじめ系は好きじゃないし、少しではあるけど性的な表現もあるし苦手な部分が所々あった。最初は、「耐えていることに意味がある」って言ってたことが、なんとなく分かるけど、その後百瀬の話を聞くと、「確かに意味なんてないのかも」と思えてきた。いじめられている原因だと思ってた斜視の話もそうで、ただただその時のムードで標的になったんだなと。いじめに加担したことも、しっかりと目撃したこともないけど、そういうものなんだろうなとはなんとなく分かるから、「ハッキリとした理由なんてない」という口に出しづらいことをしっかりと表現されていて、それが正しい部分もあるから余計にもどかしかったし気分が悪かった。原因があった方が絶対にいいだろうから。 ムードで始めた、なんて言われたら終わりが見えないし、自分の人格や存在そのものを否定されているようになって辛いだろうなと思う。 ヘヴンの話が最初の方に出てきたけど、正直「いる?その流れ」とはなった。結局ヘヴン自体は最後まで出てこなかったし、その後のコジマや主人公についても何も書かれてなくて、なんだったんだと思った。 コジマが「これに耐えたら絶対に他の人とは違うところにいける」と言っていたのも綺麗事だなと思った。わざと汚くしているのも、コジマの都合であって、コジマの美学でしかないと思う。だからといって勿論いじめていい理由にはならないけど、なんというか、「乗り越える」とか「耐える」って、当人の言い聞かせでしかないんだなと思った。「努力は必ず報われる」という言葉に違和感を持つように、必ずしも耐えたからといって何か起こるわけではないと思う。残酷ではあるけど、もしかしたら状況はずっと悪い可能性もあると思う。そういう心持ちが悪いとかでは全くなく、なんというか、世の中の不条理さが滲み出てるなと思った。綺麗事では生きていけないんやなと思った。 百瀬の「こちら側の都合とそちら側の都合は、一見繋がっているようで違う」(みたいなニュアンス)という文は、確かに新鮮な感覚だった。 主人公が斜視の手術をすることをコジマに伝えた時の反応は結構イライラした。結局コジマは、ぼくが自分の仲間から外れていくのが嫌なだけだと思ったし、逆に自分と同じ境遇だったからこそ仲良くなったんやなと思った。その友情ってどうなんやろと思った。ここで「斜視を治す=二ノ宮に従う」ことになってるのが、少し単純で浅はかだなと思った。悲しいことではあるけど、百瀬の方がよっぽど多くを考えてるなと思う。 トイレで二ノ宮が誰かと話していたみたいな描写は何?多分百瀬で、二ノ宮が百瀬のこと好いてると思ったんやけどどうなんやろ 二次創作の読みすぎか? あとは百瀬が体育をよく休んでいるとか、病院で会うとか、そういうとこも説明が欲しかった。考えすぎかもやけど、百瀬はかなりの大病を患っていて、だからこんなに物事を諦めてるのかなとか思った。 『地獄があるとしたらここだし、天国があるとしてもここだよ』
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