米谷隆佑 "予告された殺人の記録" 2025年9月25日

米谷隆佑
米谷隆佑
@yoneryu_
2025年9月25日
予告された殺人の記録
予告された殺人の記録
ガブリエル・ガルシア=マルケス
殺される。 それがわかってなお面白いのは、ガルシア=マルケスの語り口の、多層的で興味を惹きつけ続ける力強さに尽きる。 終盤の描写にはワクワクさせられて、黄金色の朝日に照らされて雄々しく立つサンティアゴ・ナサールの姿に、目が眩みそうになる。彼の作風の軸にあるマッチョイズムがここに来てなお極まるのだ。 本作と『百年の孤独』と『族長の秋』を読んで気になったことの一つに、終盤、事態が荒れ狂った後に「文学」を明示した場面や説明の中で、文学とは何か、本作の要点は何か、を端的に述べ、また、創作のモチーフになったであろう現実の史料を広げる描写が見受けられる。だから、十分書いたら自我を前面に出しがち、な気がして面白いのだ。自我の発露でいえば、ことごとく登場人物の名に"ガルシア"や"マルケス"の名を冠していたりするのは、もはや確信犯的で笑ってしまう。 おそらく実際に調べたであろう検察の資料を、水に浸った資料室の中から長年探し続けてようやく見つけた、とか魔術的に描写して一部隠すも、無名にして文学の才を持つ何者かに代弁させる(件の村の医者も文学の才を持つ)ことで、自らの主張を顕在化しているように見える。やはり、作家ガルシア=マルケスの根はジャーナリストなのだ。その主義は、淡々とした事実を述べる記事を書くだけではなく、社や個人の表現を言葉で伝えることにある。だから、彼の作風にはいつも不穏さを焚き付ける手法よりかは、有り得そうな社会を舞台に有り得ない現象を繰り広げ、刹那的にエゴイズムを忍ばせた妙理を書き上げ、真実と意見の同居を許した長文に感心して止まないのだ。
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