
読書猫
@bookcat
2025年9月21日

読み終わった
(本文抜粋)
“頭木弘樹 綺麗な物語を必要としているのは、当事者ではなく、まだ悲惨なことになる前の人たちでしょうね。いつか自分にも何か起きるかもしれないという不安はあるので、起きても大丈夫という物語があると安心できる。だから、当事者に対して、そういう物語を紡ぐように求める。蚕に綺麗な糸を吐けと言うように。”
(頭木弘樹、川上未映子「痛みの一回性を取り戻す」より)
“若林正恭 最近郊外に引っ越して、2拠点生活をしてるんです。家に帰るとき、左が田んぼ、右がとうもろこし畑の道があったので、これはすごいなと思って、車を止めた。夕日が映って、風で夏の稲が黄金色に波立って、それをずっと見てたんですけど、途中で、これ何やってんのって思ったんです。これをやるって勇気がいる。そう思わせるのは、何の圧だったのかとも思うし、この対談が始まった頃よりはちょっと弱まってる気もします。“
(若林正恭、國分功一郎「ネオリベの帳を越えて」より)
”日記という表現形式は、研究上の資料的価値はもちろんだが、それ以上に、人々を惹きつけ、自分とは違う誰かの経験を「追体験」させ、触発する力を持つ。それがいくぶんかの虚構や、読まれることを前提にした演技を含んでいたとしても、「日記」という形式を備えている限り、その力は機能してしまう。“
(山本浩貴「ささやかな「本当らしさ」からこの世界そのものの「フィクション」へ」より)
