
くりこ
@kurikomone
2025年9月27日

わたしが誰かわからない
中村佑子
読み終わった
最近頻度は少なくなったものの、昔の私は他者と長く関係性を持てば持つほど、自分の行動が私の意志によるものか相手の意思によるものか分からなくなることがよくあった。
小さい時は他人の痛みが自分の痛みみたいに感じられて苦しかったこともあって(今もその傾向はある)自他の境界のない人の特徴だから治したいと思ってた。しかし著者が、ヤングケアラーはケアするものケアされるものの両者の間の行き来が頻繁に起き、自己崩壊と自己保存が起こるため自我境界の融解というレッスンを日々受けているのだと、その特性を悪いものととらえず、違う視点で考えてるのが面白かった。
「自己の輪郭が溶け出し開いている=誰かのために生きていることは、自分のための生もまた同時に燃え広がっている」とラストで書かれていたのは、ティックナットハンのインタービーイングに近いのかなと感じた。
ヤングケアラーの語りの本は色々読んできたのだけど、著者が「書くことができない」ことを経て、より深いところに潜り、ケアとは何かを0から構築している。私のケアの経験も違う角度で照らしてくれた。読んでよかった。
p.182
〈幼いころから敏感に感じていた自我の揺曳は、精神的に不安定な母に付き添う時間のなかで育った感覚であるともいえる。つまりヤングケアラーである自分はずっと、自我境界というレッスンを続けていたといえる。母の具合の悪さや不安が、部屋のすみずみまで伸び縮みするように感じ、そのなかで時間も伸び縮みし、時計の針の音が妙に大きく、自分の鼓動のように感じる。〉


