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@DN_HP
2025年9月28日

恐怖の正体
春日武彦
読み終わった
心弱きときの活性の糧
「わたしはこのような物語が何食わぬ顔で日常にまぎれ込み、子どもや大人の不意を突いて凝然とさせる事態を好ましく思う。ときおり退屈な毎日がささやかなグロテスクや恐怖で脅かされたり変質することによって、わたしたちは生きることの意味を問い直す。そうであってこそ、まっとうな人生を歩めるというものだろう。」
人のというか「私の」恐怖の正体に、文献に映画、精神医学の知見、それに自らの経験と記憶を使って迫っていこうとするエッセイ、と言っていいと思うし『無意味なものと不気味なもの』(最高)とも近い構成、読み心地のような気もする。やっぱり恐怖はとても個人的なものだから、それを語るときにも個人的にならざる得ない、というかそうであって欲しい。絶妙に主観的で感情的な語り口は完全に読ませる。春日先生の話はやっぱりめちゃくちゃ面白い。
他人の、多くは春日先生の恐怖の話に「そうなんですか」と驚けば、次には「そうなんですよ!」と納得したりもして、蘇ってくる過去の恐怖と、これから訪れるかもしれないその瞬間を思って少し震える。「恐怖の正体に肉薄する」ということは、更なる恐怖に遭遇するということなのか。帯で京極夏彦もそんなようなことを書いていた。それに紹介されるエピソードや作品の引用と解釈がそもそも怖い。恐怖を語るということは、恐怖そのものにもなるのかもしれない。
わたしは深夜に何げなく読み始めたこの本に不意を突かれて一瞬凝然とさせられた。鬱屈としたような毎日が恐怖に脅かされて少しだけ変質した。ということは、生きることの意味を問い直せるかもしれない。そうであれば、まっとうな人生を歩める、といいですけどね。それはともかくとしても、この本はわたしの「〈心弱きときの活性の糧〉(春日先生が「心密かに行為を寄せている」ある文庫レーベルのキャッチフレーズ)」になった、ような気がしているのだった。
まあ、身も蓋見ないことを言えば、面白い本読むと元気出るよね、みたいな話だったりもするのだけど、この本がめちゃくちゃ面白かったことは確かなことなのだ。





