いずも "生の短さについて 他二篇" 2025年9月28日

いずも
いずも
@izumo_izumo
2025年9月28日
生の短さについて 他二篇
誰もが必ず死ぬと分かっていても、その日、生きていれたことに感謝することは、僕はそんなにない。 あー、今日もつまらん一日を過ごしてしまった、と嘆くことはよくある。勿体無い。人生は短いのに浪費してしまったのだ、とため息と共に心で呟く。一方で、なんて幸せで充実したのだろうと思い返すこともある。生きてて良かったと、安堵する時もある。 過去を嘆き、未来を恐れて、今に不安する自分に悲観する時も多々ある。どうすれば良いのだろうと、考えが落ち着かないことも多い。 この本は迷っている心を助けるというよりは、そんなことだから迷うのだと、状況は単純だと、伝えてくれる。自分にとっては何よりも二千年前に自分と同じような感情に翻弄されている人がいて、その状況に真剣に答えようとする人がいたことに強い安堵感を感じた。 徳、これは善と言えるのかも知れない。人間が善とする行動は徳となり善を呼ぶ、とあった。あいつばっかり幸せになりやがってと嘆くことはできるし、なんで俺ばっかりと同情を募ることもできる。でも何のために自分だけ幸せになりたいのだろうか。自分の幸せとは何だろか。今が理不尽なことは分かるのに、と感じるのに、その答えが出ない。 つまるところ自分の人生は自分しか感じることができない。かと言って他人が自分の人生と干渉しないかと言えば、そのような状況は非常に少ない。何かを通じて思い返し、他人との関わりを感じる毎日だと思う。そして、自分の時間が砂時計の砂のように流れ落ち消えていくさまを、人との干渉に感じたとき、喉に異物が痞えるように息苦しくなる気がする。 短く辛い人生にしてしまうのは他人に振り回されたような自分の受動的な態度だけではなく、能動的で積極的な不幸自慢が根元にあるように感じる。自分を変えれるのは自分だろうし、自分の芯となるのは公共の善なのかも知れない。わがままな態度ではなく、善であろうとする気力なのだと思う。 この本はもっと早く読むべきだったと思う。例えば社会人になり何もかもが嫌いになってしまった時や、学校がつまらなくなって人生が嫌になった時。蔑まれて自分が評価されなかった時や、自分だけ生き残ればいいのにと思った時、助けて欲しいと思った時。自分を受け止めてくれる人は二千年前にもういたのだと言う安心感を感じることだけで、少しだけ生きることを続けてもいいかな、と思えた。
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