
nornacum
@nornacum
2025年9月30日

ディキンソン詩集(対訳)
ディキンソン,E.,
亀井俊介
読み終わった
詩集
英米文学
対訳
辞書を引きながら、自分なりの訳を作りながら、そして亀井せんせいの訳と対照して、自分の読解のふがいなさを呪いながら、ふっと紅茶を飲んでいて考えたこと。
こういう感想は可笑しいかもしれないけれど。
私は映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』を思い浮かべたりしたのでした。この映画の登場人物イザベラは、貴族の血を継ぎながら妾の子であったために絶望的な貧困のなか捨て置かれ、孤児として生き、喘息を患い、わけあって貴族の世界に戻る。結婚させられ、高い塀に囲まれたお屋敷に暮らすようになる。物質的には恵まれているけれど、彼女はいつも小さく身をすぼめて生きている。黒い喪服のような服を着て、ほとんど家から外に出ることはない。外に出るのは、ごくたまに、彼女はお屋敷の裏門からすぐ近くの湖を、ひとり散策するときくらい。
ある日の散策の途次、彼女宛てに郵便が届く。その手紙にはたった一文が書かれているだけなのだけれど、その言葉が彼女の心を解放する。身を縮めていたぶん、心を小さくしていたぶん、得られた自由は大きい。これからも、彼女は貴族のお屋敷のなかで孤独に暮らすことだろう。しかし彼女は「白い服」を着る。映画のなかでは、自由と希望の象徴として、青い空を飛ぶ白鳥が2羽描かれる。エミリー・ディキンソンも「希望は鳥のようなもの」と書いている。
エミリーは、学校へ通った時期以外のほとんどをお屋敷のなかで過ごした。近所のひとも、たまに庭に白い服を着てたたずむエミリーの姿を見るくらいだったらしい。しかし彼女の魂も自由だった。イザベラとエミリーは、似ている。
