
DN/HP
@DN_HP
2025年10月3日

回復する人間
ハン・ガン,
斎藤真理子
かつて読んだ
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繊細だけれどとても鋭い、傷ついたり傷つけたりしてしまいそうな文章。そんな文章でしか書けない傷や悲しみ苦しさ、人生がある。それらの殆どの人生、物語には最後に光がさす、希望が垣間見える。前に進めるように開いた小説たち。それらは回復を促すように書かれたのかもしれない。
だけれど、ある短編の登場人物が「私を回復させないで欲しい」と願うように、残しておきたい傷や忘れるべきではない悲しみ苦しさもある。回復とは忘却にも近い。傷や悲しみ苦しさを忘れないために書き残された、そんな風にも思えた。
回復も忘却も、時間を使って人生が行使する必要な力だ。
だけど、それに抗うように傷を悲しみや苦しさを持ち続けることも必要なことがあるのが人生だ。相反するようにも思えるけれど、どちらも必要なことがこの短編集には同時に書かれていた、そう読んでいた。
最後の一編を読み終わって、知らずに強張っていた身体が解れてため息が出た。消えることのなかった傷や忘れていなかった悲しみ苦しさを思う。もう一度ため息が出た。その意味を考えている。
そうだということを意識させない、元々あった繊細さや鋭さも失っていないように思える翻訳もやはり凄かった。
この短編集のなかでは異質な一編、勝手に動き出す左手に翻弄され、生活を狂わされ、自らも狂っていく、不可解で悲しくて希望もない話。三人称で書かれているから書き方はまた違うものなのだけど、その短編で感じる、不可解だけれどない話ではない、自分にも降りかかることがあるかもしれないという怖さは、実話怪談に感じる怖さとも同じようなものだった、ということも書いておきたい。







