
さーちゃん
@cong_mei
2025年10月4日

やさしいがつづかない
稲垣諭
読んでる
表紙がかわいい。
時々私に対して「やさしいね」と言ってくれる人もいるけれど、なんだか違和感があった。冷たい言動を取ってしまうし、意地悪な気持ちを持っていることもある。筆者も書いている通り、やさしさというのは性格や気持ちのことだと思っていた。
でも「やさしいというのは、あなたがもつコントロールの権利を手放し、それを相手に委ねる行為である」というのが筆者の主張。
一つの例として、外で水たまりを見つけた子どもとその親が出てくる。子どもは水遊びをしたい。親は、着替えもないし車を汚すかもしれない、洗濯物も増える…と色々考える。それでも子どもの遊びたい気持ちを考えて、「いいよ、もう入っちゃいな」と許可する。このとき、親は子どものコントロール権を手放している。さらに言えば、靴や洋服を洗ったり、玄関の掃除、お風呂に入れることなど、労力や時間を子どものために使うことになる。そうした意味で自分が持っている体力や時間のコントロール権も手放し、相手に手渡すことになる。
そして、「やさしさはいつでも行動と結びついている」という。コントロール権を手放す時の実際の発言や行動で示されるのがやさしさ。だからそもそも難しいし、毎回はできないものだと。
これを読んで、私の中で確実にほっとした部分がある。そうだよね、やさしくできないときあるよね、って。
そんな気持ちになったときは、「ああ、私は今この相手に自分のコントロール権を手渡せないのだな」と考えてみると良いのだという。もしくはその逆に、「私はこの人のことをコントロールしようとしてしまっているが、本当にそれは今、必要なことなのだろうか」という問いかけも有効みたい。
ひとまず、自分の中での「やさしい」が転換された。3章には「やさしいがつづくために」という副題がついているので、先を読み進めたい。


