さとう "庭に埋めたものは掘り起こさな..." 2025年10月7日

さとう
さとう
@satoshio
2025年10月7日
庭に埋めたものは掘り起こさなければならない
まだ自分でも消化しきれてない気持ちを引っ張り出された感覚になっている。読むの苦しかった。涙も出てしまった。 齋藤さんのように、わたしも自分との対話をしなければならない。
さとう
さとう
@satoshio
●わたしのこの物語には「悪者」が一人も登場しない。口に出して「傷ついた」ということがとても困難になる。わたしは自分が負った傷から回復することができなくなる。誰がわたしを傷つけたのだろうか。誰がわたしの心を殺したのだろうか。 ●なんてさみしいんだろう。死んでしまうくらいの苦しさで、「生きている」ことを確かめないといられないなんて。それほどの強さで「生きている」ことを求めて、求めているのに生きることがこんなに困難だなんて、なんてさみしいのだろう。 ●「謝る」ということは、祝福を与えることでもある。傷ついた人の痛みをわかろうとする、そこに一人の存在があることを認めるということ。逆に「謝らない」ということは、そこにわたしがいること、わたしの悲しみがなかったことにされているということだ。
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