
DN/HP
@DN_HP
2025年10月7日

星の時
クラリッセ・リスペクトル,
福嶋伸洋
かつて読んだ
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わからなさを大切にしたい、と話したのはやっぱり快晴だった大塚で、そのときにバッグと頭のなかにあったのはこの本だった。
作者の創造した作家が書く無知故に“哀れな”イノセンスを持つある少女の人生。メタを重ねたような書き方は複雑だけれど、まだわかる。人生のある一時期を切り取った物語の筋はシンプルだ。納得出来る言葉が連なったセンテンスの美しさにはため息が出た。けれど、この小説はわからないと思った。
「物語というのは、作り出されたものであっても真実だ」
冒頭で宣言されていた通り、ここにあるのは、少女の、作家の、そしてもちろん作者自身の真実だ。多分この小説のわからなさはそこからきていると思う。他人の真実は簡単にはわかることが出来ない。それでも、それを真摯に表現しようとしたものに感じるわからなさは、“わかった”ときの感動と同じように自分だけのものだから、それを持ち続けることも、取り出して考えることもとても心地良く感じる。
「考えることはひとつの出来事。感じることはひとつの事実。」
そこにあるものを全部、大切に持っておきたいと思う。そんな考えがあの会話のなかで漂いはじめていた気がする。
今手元にあるわからなさは、この小説をもう一度読んだときにわかるようになるかもしれないし、別の本を読んだときにヒントが見つかるかもしれない。あるいは本を手放した生活のなかで考え続けることで、別の大切にしたいものが見つかるかもしれない。もしかしたら、ただわからないままかも知れないけれど、しばらくの間はこのわからなさもそこにあるものも全部大切に「抱きしめて」おきたい。
例によって乱立している付箋も、おあつらえ向きのコメントが入った栞もそのままにして、もう一度読むまでこの本も大切に持っておきたい。そう思って机の上の特別なコーナーに差し込んだ。
この文章にもわからなさがあるとしたら、それは、まあ、浅薄さと文章力のせいかもしれない。



